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1.03.3 避けられぬ事件

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 「仮名手本忠臣蔵 三段目」
 
国芳 大判/錦絵 物語絵
出版:安政1年(1854)11月 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1195
【前期展示】.
 
■解説
 師直の八つ当たりな暴言に耐え切れず、ついに判官は師直の眉間目がけて斬りつける。さらに斬りかかるのを師直が逃げる中、控えていた本蔵が判官を押しとどめる。御殿中がこの刃傷に騒然となった。若狭之助と師直の対立は本蔵の事前の賄賂によって避けられたものの、判官と師直の対立は本蔵の予期せぬ出来事であった。また本蔵が判官を抑えてしまったことで、師直は生き延び、若狭之助中心の舞台から塩冶判官と家臣たち、そして加古川家を巻き込んだ騒動へと発展していく。
 通称「喧嘩場」とも言う。(藤井)

1.04.1 厳かな切腹

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「浮絵忠臣蔵」 「四段目」
 
国直 大判/錦絵 浮絵
出版:文化8年(1811)、江戸
上演:文化8年(1811)4月6日、市村座
立命館大学ARC所蔵 arcUP3265
【後期展示】
 
■解説
 お上から、判官が切腹の処分を申し渡され、すでに覚悟を決めていた判官が由良之助を待つ場面。古くから四段目は「通さん場」と呼ばれ、歌舞伎では唯一、遅れてきた客や弁当の差し入れなどの外部の出入りを遮断する。それほどまでに静寂で厳粛なシーンである。
 北斎の得意とする一点透視法を用いて中央奥の判官を注目させ、奥行きを効果的に見せている。浮絵とは、浮世絵の種類の一つで西洋絵画から取り入れた遠近透視図法を用いて消失点に向かって手前から奥への立体感を構成する。
 中央奥には由良之助の帰りを待ちきれない様子の判官と、右には上使の石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門が控えている。力弥が腹切り刀を乗せた三方を持って進んでゆく、切腹という大事直前の緊張感と遠近透視図法による臨場感のある構図である。(藤井)

1.04.2 敵討の決心

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 「仮名手本忠臣蔵」 「四段目」
 
貞信〈1〉 大判/錦絵 芝居絵
出版:不明・大坂
立命館大学ARC所蔵 arcUP3868
【後期展示】
 
■解説
 国貞の絵と構図は全く同じだが、貞信は由良之助らが師直への報復を決意する場面を描いているのに対して、国貞は由良之助が無念に城を振り返る姿を描いている。また、この貞信が描いたものは、特に力弥などの衣装の色に見られるように、多彩な上方絵の特徴をよく表している。
(藤井) 

1.04.3 無念の思い

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「仮名手本忠臣蔵 四段目」
 
国貞〈2〉 大判/錦絵 物語絵 
出版:嘉永4年(1851)2月11日、市村座
立命館大学ARC所蔵 arcUP1989
【前期展示】.
 
■解説
 城の壁を境界にして、上に判官切腹の段、下に城明け渡しの段の二場面を描く。判官の右側には上使石堂右馬之丞、師直の昵近薬師寺次郎左衛門が控え、由良之助へ最期の言葉を交わす。
 上使から言い渡された判官の処分は、領地没収の上切腹であった。処分の意外な重さに、その場にいる諸士たちは驚き顔を見合わせる。しかし切腹を覚悟していた判官はすでに死装束を身につけていた。「力弥。力弥。」「ハア。」「由良之助は。」「いまだ参上つかまつりませぬ。」切腹の前に信頼の置ける家老・大星由良之助を待つも、ついに刀を腹に突き立てる。そこへ由良之助が駆けつけ、判官の血刀九寸五分を受け取り、自分の敵をとるように頼んで息絶えた。
 主人を失い、由良之助ら家臣達は城を明け渡して浪人となった。自らも主人の後を追おうとするところへ、由良之助が見せたのは先程の九寸五分である。これをもって主人を死に至らしめた師直の首をとり、敵討ちをすることを一同は決心するのだった。
 (藤井)
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1.05.1 駆け落ちの果てに

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「仮名手本忠臣蔵」 「五段目」
 
貞信〈1〉 大判/錦絵(横) 物語絵
出版:不明、大坂
立命館大学ARC所蔵 arcUP3869
【前期展示】.
 
■解説
 勘平は自分が仕える主人の大事にお軽と「色に耽ったばっかりに……」恥じて、切腹しようとする。しかしお軽が制止し、ともに自分の実家へ帰ろうと提案し、駆け落ちした。お軽の実家では猟師として暮らしていた勘平だが、偶然にも元塩冶の家臣・千崎弥五郎と出会う。敵討ちを噂に聞いていた勘平は自分も連判に加わりたいと願い出るが、千崎もやすやすとは打ち明けられないため、主君の石碑建立の御用金を集めていることに隠して暗に討ち入り計画を知らせたのである。
 お国は、盗賊となった斧定九郎に、お軽を売った五十両を強奪され
殺されようとしている義父与一兵衛が描かれる。(藤井a)

1.05.2 残酷すぎる運命

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「仮名手本忠臣蔵 五段目」 
 
国貞〈2〉 大判/錦絵(横絵) 物語絵 
出版:嘉永4年(1851)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1990
【後期展示】.
 
■解説
 雨降る夜の山崎街道での二場面を描く。元塩冶家の家老で師直に寝返った斧九太夫の息子・斧定九郎が唯一登場するのがこの五段目である。
 ある老人が夜道を急いでいたところ、怪しげな男が追いかけて来て物騒な道の連れになろうと言う。しかしこの男、今は山賊に堕ちた定九郎の目的は老人の持つ財布であった。「こなたのふところに金なら四五十両のかさ。縞の財布にあるのを。とつくりと見つけてきたのぢや。貸して下され。男が手を合はす。」と老人の懐から無理やり縞模様の財布を引きずり出す。たった一人の娘とその婿のために要る金、親子三人が血の涙を流すほど大切な金だから助けてくれと老人が必死に頼むのも聞かず殺して死骸は谷底に蹴落としてしまったのである。実はこの老人はお軽の父・与一兵衛で、お軽の身売り先である祇園一文字屋からの帰りであった。
 手前にお軽の父・与一兵衛が定九郎に襲われて財布を奪われる様子、奥には雨で火縄銃が湿気ったので火を貸してもらおうとする勘平と、山賊かと思い身構える千崎弥五郎を配置している。しかしながら現行の歌舞伎では与一兵衛と定九郎の場面はかなり原作と違った内容である。仮名手本忠臣蔵原作では、この図のように山賊へ身を落とした定九郎が与一兵衛を追いかけて財布を奪った後殺害するが、現行の歌舞伎では稲垣の前に座り込んだ与一兵衛を刺し殺している。定九郎の言葉は「五十両……」のみとなっており、与一兵衛との掛け合いはない。
 この図で注目すべきは人物の表情である。与一兵衛が持っていた金はなんと娘の身売りを条件に勘平のために手に入れた大金であり、「親子三人が血の涙の流れる金」であった。必死に助けを乞う与一兵衛の表情と冷酷無比な定九郎の表情がリアルに描かれている。一方で早野勘平・千崎は手前の二人に比べてあまり表情を描き出していない。これは二人が互いの顔を見てあまりの偶然に驚いたためであろう。(藤井)
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1.05.3 夜の山の敵討ち

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「浮絵忠臣蔵」  「五段目」
 
国直 大判/錦絵 物語絵
出版:文化8年(1811) 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP3266
【前後期展示】.
 
■解説
 か弱い老人から五十両を手に入れ、してやったとほくそ笑む定九郎。その後ろから手負いの猪がこちらへ一目散に駆けてきた。とっさに木にしがみついてやりすごし、一息ついたその瞬間、定九郎の胸を鉄砲玉が貫いた。悲鳴を上げる間もなく絶命してしまう。この図はまさに、定九郎が木にしがみついた瞬間を描いている。
 暗闇の中で勘平が討ち取った獲物を探ってみると、実は猪だと思っていたのは人、つまり定九郎だったのである。大変なことをしてしまったと抱き起こすと定九郎が与一兵衛からつい最前奪い取った財布に触れた。中には自分の求めていた五十両が入っているではないか。これは天のお与えになったものと思い、財布を持って一目散に帰宅するのであった。なお、木に上るのは、舞台でみれば演出となるが、現行の舞台では行なわれない。
(藤井a)

1.06.1 涙の別れ

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「仮名手本忠臣蔵 六段目」
 
国貞〈2〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永4年(1851)頃 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP1991
【前後期展示】.
 
■解説
 ここは山崎にあるお軽の実家、勘平が今は浪人として身を寄せる与市兵衛の住処である。ひび割れた石壁、破れたままの障子、母親の粗末な着物からはこの家が非常に貧乏であることが分かる。場面は一文字屋の訪問とお軽の涙の別れである。さらに奥には何かを運んでくる三人の猟師たちと深編笠を被った二人の侍が見え、この別れの後の展開を想像させる。
 昨日から出かけていた与一兵衛が明け方になっても戻ってこないため、母もお軽も心配していた。そこに籠をかついでやってきたのは祇園町の一文字屋である。実はお軽はこの一文字屋に百両で身売りされることになっていたのである。お軽の身売りは勘平の主人の無念を晴らすために金が要ることを聞いて、どうにかしてやりたい親子三人の苦渋の決断であった。一文字屋は前払いとして半金の五十両を与市兵衛が受け取った旨の証文を見せ、残りの半金と引き換えにお軽を連れて行く約束をしていることを話した。しかし父・与一兵衛と会えないうちはまだこの身は渡せないと、お軽も母も止めるが一文字屋は無理やり籠に押し込んで出発する。そこへ折り良く勘平が現れた。事情を飲み込めない勘平は身売りの事情を聞き、与一兵衛らの心遣いに感謝するのであった。しかしその後一文字屋の話を聞いた勘平ははっと気づき、愕然した。袂に入れてある財布をちらりと見ると、なんと与一兵衛が五十両を包んでいたという縞の財布と、同じ柄である。もしや昨日撃ち殺した老人は与一兵衛であったか……そう思い込んだ勘平は帰る途中で与一兵衛に会ったから安心するようにと、嘘をついてお軽を納得させる。愛する勘平のため、自分で決めた身売りであるが、やはり涙なしには別れられないのであった。
 お軽は慎ましさや上品さを理想の女性とするこの時代においては、少し気の強い自立した女性として描かれている。三段目では勘平に会いたいがために顔世に頼み込んで文を書かせたり、勘平と会うなり人目も憚らず誘惑する積極さを持っている。そしてこの六段目でも「ぬしのために身を売れば かなしうもなんともない わしや勇んで行く」と母を心配させないように気丈に振る舞う。しかし同時に父親の持病を心配し、両親を想う優しさも持ち合わせている。そして時折垣間見える女らしい艶やかさ。時代が作る女性像に縛られず、自分に素直に生きるお軽の姿は女性たちの本当の理想でもあったのではないだろうか。(藤井a)

1.06.2 勘平の誤解

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「忠臣蔵」「六段目」
 
絵師:広重 大判/錦絵(横) 物語絵 
出版年不明・江戸
立命館ARC所蔵 arcUP4650
【後期展示】
 
■解説
 泣く泣くお軽を見送った後、お軽の母は勘平に与一兵衛とはどこで会ったのか尋ねるも、実際に会ってはいない勘平は口からでまかせを言うしか無い。そこへ、狩人三人が死骸となった与一兵衛を戸板に乗せてやって来た。昨日の夜に殺されていたのを運んできたと言う。それを聞いて、やはり昨日撃ち殺したのは与一兵衛であったと勘平は愕然とする。気の毒に思いながら狩人たちは去っていったのであった。
 六段目において主要な人物は言うまでもなくお軽の母親と勘平であるが、広重は悲しみながら帰っていく狩人たちに着目し、絵の真ん中に大きく配置している。そして右奥には入れ替わりに千崎と原郷が訪問する様子を小さく描き、遠近感のある構図となっている。あえて帰りの狩人をメインに描くことで、その出発点で何が起こっているのかを注目させる、広重ならではの面白い描き方である。(藤井)

1.06.3 母の無念

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「忠臣蔵 六段目」

芳虎 弘化04(1847)~寛永1・江戸
物語絵 大判/錦絵
立命館ARC所蔵 arcUP2824
【後期展示】
 
■解説
  与一兵衛が殺されて帰ってきたというのに驚かないのは、勘平がいくら元武士であってもおかしいと与一兵衛女房は不信を抱く。与一兵衛と道で会った時なんと言っていたか、お前が答えられない理由はここにある、そう言って勘平の懐から引き出したのは血のついた縞の財布であった。彼女は一文字屋の話を聞いて勘平がちらりと袂の財布を見たのを見逃さなかったのである。律儀な人だと思っていたのに畜生な婿だとは知らなかった、夫を生きて返せと彼女は恨みの言葉を並べて泣き伏した。これはまさに天罰であると思っていたその時、現れたのは元塩冶判官の家臣、千崎弥五郎と原郷右衛門であった。(藤井)
 

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