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1.06.1 涙の別れ

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「仮名手本忠臣蔵 六段目」
 
国貞〈2〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永4年(1851)頃 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP1991
【前後期展示】.
 
■解説
 ここは山崎にあるお軽の実家、勘平が今は浪人として身を寄せる与市兵衛の住処である。ひび割れた石壁、破れたままの障子、母親の粗末な着物からはこの家が非常に貧乏であることが分かる。場面は一文字屋の訪問とお軽の涙の別れである。さらに奥には何かを運んでくる三人の猟師たちと深編笠を被った二人の侍が見え、この別れの後の展開を想像させる。
 昨日から出かけていた与一兵衛が明け方になっても戻ってこないため、母もお軽も心配していた。そこに籠をかついでやってきたのは祇園町の一文字屋である。実はお軽はこの一文字屋に百両で身売りされることになっていたのである。お軽の身売りは勘平の主人の無念を晴らすために金が要ることを聞いて、どうにかしてやりたい親子三人の苦渋の決断であった。一文字屋は前払いとして半金の五十両を与市兵衛が受け取った旨の証文を見せ、残りの半金と引き換えにお軽を連れて行く約束をしていることを話した。しかし父・与一兵衛と会えないうちはまだこの身は渡せないと、お軽も母も止めるが一文字屋は無理やり籠に押し込んで出発する。そこへ折り良く勘平が現れた。事情を飲み込めない勘平は身売りの事情を聞き、与一兵衛らの心遣いに感謝するのであった。しかしその後一文字屋の話を聞いた勘平ははっと気づき、愕然した。袂に入れてある財布をちらりと見ると、なんと与一兵衛が五十両を包んでいたという縞の財布と、同じ柄である。もしや昨日撃ち殺した老人は与一兵衛であったか……そう思い込んだ勘平は帰る途中で与一兵衛に会ったから安心するようにと、嘘をついてお軽を納得させる。愛する勘平のため、自分で決めた身売りであるが、やはり涙なしには別れられないのであった。
 お軽は慎ましさや上品さを理想の女性とするこの時代においては、少し気の強い自立した女性として描かれている。三段目では勘平に会いたいがために顔世に頼み込んで文を書かせたり、勘平と会うなり人目も憚らず誘惑する積極さを持っている。そしてこの六段目でも「ぬしのために身を売れば かなしうもなんともない わしや勇んで行く」と母を心配させないように気丈に振る舞う。しかし同時に父親の持病を心配し、両親を想う優しさも持ち合わせている。そして時折垣間見える女らしい艶やかさ。時代が作る女性像に縛られず、自分に素直に生きるお軽の姿は女性たちの本当の理想でもあったのではないだろうか。(藤井a)

1.06.2 勘平の誤解

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「忠臣蔵」「六段目」
 
絵師:広重 大判/錦絵(横) 物語絵 
出版年不明・江戸
立命館ARC所蔵 arcUP4650
【後期展示】
 
■解説
 泣く泣くお軽を見送った後、お軽の母は勘平に与一兵衛とはどこで会ったのか尋ねるも、実際に会ってはいない勘平は口からでまかせを言うしか無い。そこへ、狩人三人が死骸となった与一兵衛を戸板に乗せてやって来た。昨日の夜に殺されていたのを運んできたと言う。それを聞いて、やはり昨日撃ち殺したのは与一兵衛であったと勘平は愕然とする。気の毒に思いながら狩人たちは去っていったのであった。
 六段目において主要な人物は言うまでもなくお軽の母親と勘平であるが、広重は悲しみながら帰っていく狩人たちに着目し、絵の真ん中に大きく配置している。そして右奥には入れ替わりに千崎と原郷が訪問する様子を小さく描き、遠近感のある構図となっている。あえて帰りの狩人をメインに描くことで、その出発点で何が起こっているのかを注目させる、広重ならではの面白い描き方である。(藤井)

1.06.3 母の無念

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「忠臣蔵 六段目」

芳虎 弘化04(1847)~寛永1・江戸
物語絵 大判/錦絵
立命館ARC所蔵 arcUP2824
【後期展示】
 
■解説
  与一兵衛が殺されて帰ってきたというのに驚かないのは、勘平がいくら元武士であってもおかしいと与一兵衛女房は不信を抱く。与一兵衛と道で会った時なんと言っていたか、お前が答えられない理由はここにある、そう言って勘平の懐から引き出したのは血のついた縞の財布であった。彼女は一文字屋の話を聞いて勘平がちらりと袂の財布を見たのを見逃さなかったのである。律儀な人だと思っていたのに畜生な婿だとは知らなかった、夫を生きて返せと彼女は恨みの言葉を並べて泣き伏した。これはまさに天罰であると思っていたその時、現れたのは元塩冶判官の家臣、千崎弥五郎と原郷右衛門であった。(藤井)
 

1.06.4 母と婿の亀裂

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 「仮名手本忠臣蔵 六段目」
 
国貞〈1〉 大判/錦絵 役者絵
三枚続の内1枚
出版:文政後期(1825~30) 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP1169
【前後期展示】 .
 
■解説
 与一兵衛女房は勘平が与一兵衛を殺したのだと知り、勘平につかみかかり罵る。そこへかつては同じ判官の臣下であった千崎弥五郎と原郷右衛門が現れたため勘平は元武士としてのプライドがあったのだろうか、間に合わせの粗末な刀を持って二人を出迎える。現時点では勘平も自分が与一兵衛を殺したと思い込んでおり、自分を責めたてる与一兵衛女房に対して何の申し訳も立たない状態である。原作では「五体に熱湯の汗を流し」たような気持ちであると表現されている。そのような切迫した思いの勘平と、罵っても夫は帰ってこないと分かりつつもそうせずにはいられない与一兵衛女房の表情がリアルに描かれ、非常に人間らしさを感じる絵である。(藤井)

1.06.5 罪の行く末

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「仮名手本忠臣蔵 六段目」
 「勘平 市村家橘」「おかる 岩井紫若」「母かや 実川勇二郎」「ぜげん源六 中むら鶴蔵」「才兵衛 市川九蔵」「郷右衛門 尾上松緑」「勘平 中村芝翫」「弥五郎 中村宗十郎」
 
芳滝 大判/錦絵(横) 役者絵
出版:慶応1年(1865) 大坂
立命館ARC所蔵 arcUP2890
【前期展示】.
 
■解説
 右上は五十両という大金と引き換えにお軽を迎えに来たものの、なかなか家を出ようとしないお軽に判人・源六が文句をつける場面である。続いて左下は千崎と原郷が勘平を責めたてる場面である。
 本図の元となったであろう歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の上演は大坂で行われている。そしてこの芳滝の浮世絵も大坂で出版されたものであり、このような浮世絵を江戸に対して上方絵という。(藤井)

1.06.6 勘平の償い

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「役者見立忠臣蔵」「六段目」
 
春亭 間判/錦絵(横) 役者絵
出版:文化7年(1810)江戸
立命館ARC所蔵 arcUP2426
【前期展示】 .
 
■解説
 千崎と原郷がやってきた目的は、勘平を敵討の仲間に加えるためではなかった。勘平は主人の大事に居合わせなかったことを詫び、許しを乞う。しかし千崎たちは不忠不義をした者の金は受け取れないとして、勘平が渡した五十両を返したのであった。その五十両を見て与一兵衛女房はこれが夫を殺して奪った金であることを千崎らにも涙ながらに訴えた。驚いた千崎らは声を荒らげて勘平を責めたてる。親同然の義父から金を奪った上に殺す重罪人、お前のようなものは武士ではないと二人からは咎められ、与一兵衛女房にも言い訳が立たない。たまりかねた勘平は着物を脱ぎ捨て腹に脇差を突き立てる。そして昨夜のことを語りだした。詳細を聞いた弥五郎が与一兵衛の傷口を改めるとそれは鉄砲傷ではなく刀傷である。ここへ来る途中に鉄砲で撃たれ死んでいる斧定九郎に出会っていた弥五郎ははっと気づく。実は与一兵衛はその帰りに山賊である定九郎に殺され、その定九郎を撃ったのは勘平であったのだ。知らず知らずのうちに与一兵衛の敵を撃ち、その大事な金も無事に届いていたことを知ったが、勘平はすでに虫の息である。最後に千崎らは改めて五十両をとりおさめ、勘平を敵討の連判状に加えることを約束し、勘平の最期を見届けたのだった。(藤井)

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