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1.09.3 家族との別れ

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「忠臣蔵」 「九段目」
 
広重〈1〉 大判/錦絵 物語絵
出版:不詳、江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP4653
【後期展示】
 
■解説
 この絵は手前の庭に出ている大星家と、奥の屋敷内にいる加古川家の二つの家族が描かれている。顔をあげているかなど、手前と奥で対比したように描かれているのが特徴である。
 屋敷で本蔵は、師直からの嫌がらせによって若狭之助が彼に恨みを抱いていることを知り、主君に相談せずに独断で師直の機嫌取りに賄賂を贈ったことなどを話し始めた。自分が賄賂を贈ったために師直の嫌がらせが塩冶に向いてしまったこと、そのせいで人情沙汰が起こり、判官の切腹と塩冶家のお取り潰しを招いてしまったことを心の底から申し訳なく感じていた。しかも、そのせいで娘の結婚が難航するとなっては本当に心苦しくて仕方ないので、せめてもの申し訳に力弥にこの首を差し出して何とか考え直してもらおうとしたのである。
 この絵の中でお石の少し奥に雪で作られた二つの五輪塔が並べられている。これは由良之助と力弥の墓のつもりで作ったものだと由良之助は語る。そんな彼の覚悟を見た本蔵は師直邸の絵図面を渡す。由良之助はすぐさま討入りの準備にと堺へ旅立つことにしたが、本蔵の使用した虚無僧の衣装に変装する。そして間もなく本蔵は事切れるのであった。そんな娘を思う父の命と引き換えに、力弥と小浪はめでたく結ばれるのであった。
 加古川家は目の前で父親が息を引き取り、周りは故人との別れを嘆き悲しむ。また大星家は仇討によって命を落とす可能性があるため、生きて会えるのは最後であるかもしれないと、旅立ちと別れを惜しんでいる。どちらの家族も父親の別れがテーマになった絵であると言えるのである。(小笠原)
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1.10.1 義平の志

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「浮絵忠臣蔵」 「十段目」
 
国直 大判/錦絵 物語絵・浮絵
出版:文化8年(1811)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP3271
【前期展示】.
 
■解説
 この絵は十段目、舞台は堺にある廻船問屋の天河屋である。そこの店主は天河屋義平という男であるが、彼はもともと塩冶と親交のある商人であったため、由良之助たちの仇討のために必要な武器の手配を手伝っていた。この計画が外部に漏れぬよう、義平は九太夫の抱え医師であった了竹の娘で、妻である園さえも実家に帰してしまう。奉公人にもすべて暇を出し、息子の由松と丁稚の伊吾と三人で暮らしていた。最後の武器の輸送が明日に迫った日、舅の了竹がやってきて、離縁状を書かされる。これで九太夫の息のかかった者とは別れることにしたのである。
 その夜、突然大勢の捕手がやってきて、由良助らに武器を密輸する罪によって義平を捕えようとする。彼はもちろんそんなものは知らないという態度をとる。しかし、証拠と言って捕手によって運び込まれた長持は、確かに由良之助らに送る武器を入れていたものであったため、義平は慌ててその長持の上に座り込んだ。捕手らは息子の由松を人質に義平に迫るが、彼は決して話すまいと知らぬ態度を突き通すのであった。
 この絵は左右に奥行きを持って描かれ、突出部分が迫ってくるような迫力を感じさせる。長持に乗った義平の表情はいかにも険しいもので、どっしりと構えている様子がうかがえる。画面中央の天河屋入口付近にいる捕手の片手には息子由松、もう一方には刀が握られ、彼らの攻防がありありと感じられるのである。(小笠原)
 
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1.10.2 忠義と恩返し

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 「仮名手本忠臣蔵 十段目」

英泉 大判/錦絵 物語絵・浮絵
出版:天保前期(1830~1835)頃、江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP3512
【後期展示】.
 
■解説
  本作も遠近法(浮絵)を用いた構図である。義平の宅を描く右側の遠近感が弱いが、左側は、別場面を遠近法を強調して描いている。
 大星らへの荷担を追求された義平は、「天河屋義平は男でござる」と言い放って、人質に取られた息子を奪い返し自らの手にかけようとした。すると長持から声が聞こえ、なんと中から由良之助が現れ、捕手は由大星の同士たちであった。大星らは義平が信頼できるかその心を疑ったのであり、そのことを深く謝った。そして義平にそばを振舞ってもらうため、奥の間へと入っていつた。
 そこに、義平の妻園が帰ってくる。お園は親了竹が義平に書かせた離縁状を差し出し、了竹と親子の縁を切るからそばに置いてほしいと頼みに来たのであった。しかし、義平は離縁状を突き返し、お園を閉め出してしまう。残された園が自害覚悟し天河屋を離れようとした時、覆面の大男が現れ、園の髷を切り、櫛や懐のものを奪って去ってしまった。
 それに気付いて駆出す義平。とそこへ大星らが表に出て、別れの置土産として包みを一つ差出す。義平が中身は、園の切られた髷や離縁状が入っていた。髷を切ったお園は尼であり、他へ嫁入も不可能。義平と一緒に暮らしても夫婦とは言えず、また髪が結えるようになったら再度夫婦の縁も結べばよいという由良之助なりの配慮であった。この心遣いに二人は深く感謝するのであった。(小笠原a)
 
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1.11.1 討ち入りの夜

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「仮名手本忠臣蔵」 「十一段目」
 
豊国〈3〉 大判/錦絵 3枚続 物語絵・武者絵
出版:嘉永(1850)頃 出版
立命館大学ARC所蔵 arcUP5296-5298
【前後期展示】.
 
■解説
 討入を武者絵として描いたもので、そのスケールと人物たちの生き生きとした表情が見る者を惹きつける。由良之助たちはみな揃いの袴に雁木模様の上着を身につけている。この衣装は人形遣いの吉田文吾が考案したものであり、人形浄瑠璃芝居の演出から有名になったものなのである。
 ついに討ち入りの日がやってきた。由良之助たち四十七名の志士たちは師直の屋敷へ向かう。師直はというと、由良之助の放蕩ぶりをすっかり信じ込み、客を招いて宴会をしていた。そんな油断している師直を横目に、義士たち屋敷の塀に梯子をかけ、それを伝って屋敷内に進入した。内から門の扉を開けると、残りの志士たちが一斉に屋敷へなだれ込む。屋敷ではようやく討ち入りに気づいた師直たちが対抗するが、義士の意志は固く、師直勢を次々と倒していくのであった。師直は自分の身が危険だと感じ炭小屋へと姿を隠す。
 左部分で刀を交えているのは力弥と師直の息子師㤗である。また矢間に対して茶坊主の春斎も立ちふさがる。師直の行方の分からない志士たちは、もしや屋敷から逃げ出したのではないかと疑う。しかし、矢間が炭小屋に隠れていた師直を見つけ出す。右端で大勢に捕えられている男こそ、高師直である。彼の足元にも炭の束が転がっている。師直は油断させて反撃をしようとしたが、由良之助に隙はなく、彼を斬りつける。他の義士たちも次々に刀を浴びせ、最後は塩冶判官の切腹に使われた刀で師直の首を掻っ切っての仇討は成し遂げられたのであった。(小笠原a)
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1.11.2 敵討ちの報告

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「仮名手本忠臣蔵 十一段目 後」
 
国貞〈1〉 大判/錦絵 物語絵
出版:天保中期(1835)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1793
【前期展示】.
 
■解説
 敵討ちを終えて万感の思いの由良之助たちは、師直の首を判官の墓前に届けて仇討の報告をしようと、両国橋を渡って光明寺に向かう。ちょうど橋を渡っていると、馬に乗った若狭之助が迎える。彼は由良之助たちをねぎらい、後のことは任せるように言う。由良之助たちは安心して、判官のもとへと向かうのであった。
 ここまでが現行で歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で上演される物語である。
 一方、この図は、舞台「仮名手本忠臣蔵」では演じられない、十一段のその後を描いたものである。この絵の舞台は判官の墓のある泉岳寺である。「仮名手本忠臣蔵」の題材である赤穂事件では、義士たちは墓前に首を据え、敵討ちの報告をしたとされている。この絵でも墓の前に師直の首が布をかぶせて置かれている。義士たちは墓前で焼香をし、判官の冥福を祈り、万感の思いで敵討ちを完成したのである。(小笠原a)
 
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1.11.3 四十七人の忠義

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 「仮名手本忠臣蔵」 「十二段目」

貞信〈1〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永頃(1848)、大阪
立命館大学ARC所蔵 arcUP3876
【後期展示】.
 
■解説
 本作も原作「仮名手本忠臣蔵」にはない場面を描いている。原作では、師直の首を前に、その場で焼香の場となるが、本図では師直の首を、泉岳寺の墓前に備えて一人一人焼香する場面として描いている。
 墓や人物の配置などはほぼ左右対称で描かれているが、松の木などの背景が非対称で描かれ、構図にアクセントをつけている。
 墓石の家紋は塩冶のモデルとなった浅野家の家紋であり、鷹の羽を交差させる「違い鷹の羽」という。国貞〈1〉が描く「仮名手本忠臣蔵 十一段目後」(arcUP1793)は左の羽が前になる一般的な「丸に違い鷹の羽」であるが、本作では「浅野鷹の羽」と呼ばれるもので、右の羽が前面である。
 なお、忠臣蔵の揃物では、十二段目として、遠景に、帆を上げた多くの船が浮ぶ品川沖を描くのが定型となる。
 (小笠原a)
 

 

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