- 展覧会目次
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4.1.0 曽我の敵討
1193年に関東で起きた敵討である。日本の敵討では、長く人口に膾炙したもので、物語は、軍記物語風の伝記物語である「曽我物語」として伝わっている。河津三郎の子、十郎と五郎が、幼時に殺された父の敵工藤祐経を打つため、艱難辛苦の末、冨士の巻狩の時の夜営に夜討をかけ、祐経を討つというものである。
この曽我物語は、能や浄瑠璃、歌舞伎の題材となり、広く知られるようになった。なかでも、歌舞伎では、毎年のようにこの物語が「○○○曽我」というタイトルで脚色されたが、元禄期以降、江戸の三座では、初春狂言として毎年曽我物語を正月に出し、当たれば、3月、5月と続演して、5月28日の討入りまで上演し続けるというのが慣例となって、一題材の枠組みを超えた世界を形作ったのである。(a)
4.1.1 幼少期の曽我兄弟
「曽我中村閑居之図」
延一 大判/錦絵 武者絵、歴史画
出版:明治30年(1897)12月 東京
立命館大学ARC所蔵 arcUP5066-5068
【前期展示】.
■解説
曽我の敵討を描く作品は、夜討ち、矢の根、対面、草摺引などを描くものが多い中、本作は兄弟の幼少時代を、母とともに描く作品で、江戸時代にはあまり描かれない図柄である。曽我の兄弟の父親が殺されたのは兄弟がまだ幼いころであったが、父の亡き後、母親は曽我祐信に嫁し兄弟も引き取られる。まだ7,8歳であるというのに父の仇である工藤を討とうと鍛錬している様子が描かれている。
ある秋の日、雲井を渡る五羽の雁を見て、兄の祐成は、弟の時致に、「あの雁の二羽は父母、三羽は三人の兄弟である。しかし、自分たち兄弟には実の父親がいない。本当の父は河津であり、敵は工藤祐成である」と教え、それ以来、両人は敵討を決心する。兄弟は、母の見守る中、成長しながら心を合わせて武力を磨いていったのである。(Y,Sa)
4.1.2 巻狩
「曽我兄弟敵討」
国安 大判/錦絵 武者絵
出版:文政頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP5293-5295
【前後期展示】.
■解説
この作品は、源頼朝が富士で催した大規模な巻狩の場面で、中央奥には、富士が見える。中心となるのは、巨大な猪を仕留める仁田四郎であり、それを眺める頼朝と御所の五郎丸である。通常この場面が単独で描かれるのであるが、本作では、工藤祐経を刀を抜いて追う、五郎・十郎の姿が描かれている。しかし、ここでは、敵討は行われず、兄弟と祐経の対面が果たされて、再開を約束することになる。
その後、冨士の狩場で討入が決行されるが、工藤を討ったあと、兄十郎は、討死し、弟の五郎は、さらに頼朝を狙って深入りするが女装した御所五郎丸に油断して捕えられ、尋問されたのちに斬首されるのである。(Y,Sa)
4.1.3 曽我の対面
「摂馴染曽我」「工藤一臈祐経」「曽我十郎祐成」「同五郎時致」
豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
出版:嘉永2年(1849)頃 見立
立命館大学ARC所蔵 arcUP2867
【後期展示】.
■解説
「曽我の対面」と呼ばれる場面の図を描く。江戸時代には、江戸歌舞伎においては、初春狂言としてほぼ毎年曽我狂言を出し、その中で必ず対面の場面が仕組まれていた。そのため、趣向を凝らして様々な書き換えがなされてきた。しかし、基本は、曽我兄弟と、その仇である工藤祐経とが初めて対面する場面である。明治以降は、対面の場だけが単独し、定型の作品として上演されるようになった。
小林朝比奈の手引きにより、兄弟はついに工藤との対面を果たす。弟の五郎は工藤に今にも切りかかろうとするが、兄の十郎と朝比奈がそれを抑える。結局、父の仇を前にしながら、曽我兄弟はこの場面では工藤を討つことはなかった。工藤が奉行の役目が終われば討たれようと狩場の通行切手と太刀を渡し、双方再開を期して別れることになる。(Y,Sa)
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