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1.11.1 討ち入りの夜

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「仮名手本忠臣蔵」 「十一段目」
 
豊国〈3〉 大判/錦絵 3枚続 物語絵・武者絵
出版:嘉永(1850)頃 出版
立命館大学ARC所蔵 arcUP5296-5298
【前後期展示】.
 
■解説
 討入を武者絵として描いたもので、そのスケールと人物たちの生き生きとした表情が見る者を惹きつける。由良之助たちはみな揃いの袴に雁木模様の上着を身につけている。この衣装は人形遣いの吉田文吾が考案したものであり、人形浄瑠璃芝居の演出から有名になったものなのである。
 ついに討ち入りの日がやってきた。由良之助たち四十七名の志士たちは師直の屋敷へ向かう。師直はというと、由良之助の放蕩ぶりをすっかり信じ込み、客を招いて宴会をしていた。そんな油断している師直を横目に、義士たち屋敷の塀に梯子をかけ、それを伝って屋敷内に進入した。内から門の扉を開けると、残りの志士たちが一斉に屋敷へなだれ込む。屋敷ではようやく討ち入りに気づいた師直たちが対抗するが、義士の意志は固く、師直勢を次々と倒していくのであった。師直は自分の身が危険だと感じ炭小屋へと姿を隠す。
 左部分で刀を交えているのは力弥と師直の息子師㤗である。また矢間に対して茶坊主の春斎も立ちふさがる。師直の行方の分からない志士たちは、もしや屋敷から逃げ出したのではないかと疑う。しかし、矢間が炭小屋に隠れていた師直を見つけ出す。右端で大勢に捕えられている男こそ、高師直である。彼の足元にも炭の束が転がっている。師直は油断させて反撃をしようとしたが、由良之助に隙はなく、彼を斬りつける。他の義士たちも次々に刀を浴びせ、最後は塩冶判官の切腹に使われた刀で師直の首を掻っ切っての仇討は成し遂げられたのであった。(小笠原a)
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1.11.2 敵討ちの報告

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「仮名手本忠臣蔵 十一段目 後」
 
国貞〈1〉 大判/錦絵 物語絵
出版:天保中期(1835)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1793
【前期展示】.
 
■解説
 敵討ちを終えて万感の思いの由良之助たちは、師直の首を判官の墓前に届けて仇討の報告をしようと、両国橋を渡って光明寺に向かう。ちょうど橋を渡っていると、馬に乗った若狭之助が迎える。彼は由良之助たちをねぎらい、後のことは任せるように言う。由良之助たちは安心して、判官のもとへと向かうのであった。
 ここまでが現行で歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で上演される物語である。
 一方、この図は、舞台「仮名手本忠臣蔵」では演じられない、十一段のその後を描いたものである。この絵の舞台は判官の墓のある泉岳寺である。「仮名手本忠臣蔵」の題材である赤穂事件では、義士たちは墓前に首を据え、敵討ちの報告をしたとされている。この絵でも墓の前に師直の首が布をかぶせて置かれている。義士たちは墓前で焼香をし、判官の冥福を祈り、万感の思いで敵討ちを完成したのである。(小笠原a)
 
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1.11.3 四十七人の忠義

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 「仮名手本忠臣蔵」 「十二段目」

貞信〈1〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永頃(1848)、大阪
立命館大学ARC所蔵 arcUP3876
【後期展示】.
 
■解説
 本作も原作「仮名手本忠臣蔵」にはない場面を描いている。原作では、師直の首を前に、その場で焼香の場となるが、本図では師直の首を、泉岳寺の墓前に備えて一人一人焼香する場面として描いている。
 墓や人物の配置などはほぼ左右対称で描かれているが、松の木などの背景が非対称で描かれ、構図にアクセントをつけている。
 墓石の家紋は塩冶のモデルとなった浅野家の家紋であり、鷹の羽を交差させる「違い鷹の羽」という。国貞〈1〉が描く「仮名手本忠臣蔵 十一段目後」(arcUP1793)は左の羽が前になる一般的な「丸に違い鷹の羽」であるが、本作では「浅野鷹の羽」と呼ばれるもので、右の羽が前面である。
 なお、忠臣蔵の揃物では、十二段目として、遠景に、帆を上げた多くの船が浮ぶ品川沖を描くのが定型となる。
 (小笠原a)
 

 

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