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3.3.01 『視薬霞報條』

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「視薬霞報條」(みるがくすりかすみのひきふだ)

山仙子馬琴(著)、国芳(画)
中本1冊 黄表紙
出版:天保10(1840)年(序) 江戸(鶴屋喜右衛門板)
立命館ARC 蔵 hayBK03-0160
【前後期展示】.

■ 解説
 寛政12(1840)年に刊行されたものを再板した作品で、馬琴が新たに校閲・序文を担当し、挿絵も国芳のものである。
日常に身近なものを薬に見立て、その効能を示しており、薬の引札(ひきふだ)に見立てた趣向となっている。本作では「天蓋散 こむさうの妙薬」(天蓋散 虚無僧の妙薬)として、「仮名手本忠臣蔵」九段目が取り上げられている。登場人物の本蔵を薬と見立て、「とな背よりむねのいたみをおさめ お石がのぼせを引下る」、「脉(みゃく)のあがつた小なみの恋やみをすくひ こんれいのもつれをととのふ」など、九段目の内容を踏まえた効能が示される。
 引札(報条)が定着するのは江戸中期からで、商品の由来や効能を紹介する広告文や絵が添えられるようになる。明和年間(1764〜1772)から広告文の執筆を戯作者たちが担うようになり、山東京伝、式亭三馬、十返舎一九、馬琴、柳亭種彦など名だたる戯作者たちが執筆に携わった。京伝には『ひろふ神』(洒落本、立命館ARC蔵)といった引札文集の著作も見受けられる。(Y.I.a)

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3.3.19 天道大福帳

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「天道大福帳」 (てんどうだいふくちょう)

朋誠堂喜三二(著) 北尾政美(画)
中本1冊 黄表紙
出版:天明6年(1786) 江戸
立命館ARC所蔵 arcBK03-0058
【前後期展示】.

■解説
 「仮名手本忠臣蔵」に登場する人物らの行動は、天道という神仏のような存在の操りによるものであるという趣向をとった作品である。九段目では、戸無瀬が小浪を殺そうとしているところを虚無僧に扮する加古川本蔵が止めに入る場面が描かれている。天道は右上に描かれている丸い顔の浄衣を着たもので、その左には熊手を持った配下の星が描かれている。「お石が『御無用』というまでは、待て」と天道は星に熊手を使わせて、戸無瀬が刀を振り下ろすのを止めさせている。この場面は親に子を殺させてはならないという天道の配慮によるものだったのである。(M.Oa)

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3.3.20 黄表紙 『稚衆忠臣蔵』

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 「稚衆忠臣蔵」(わかしゅちゅうしんぐら)
十返舎一九(著・画)
中本3冊 黄表紙
出版:寛政12年(1800) 江戸
早稲田大学図書館所蔵 へ13 02946 0158
【前後期展示】.

■解説
 本作は、子供向きの平易な文体と趣向を、「仮名手本忠臣蔵」に見立てたものである。本作において、事の発端はにらめっこで負けた腹いせに、塩冶判官が高師直を菖蒲刀で打ったためとなっている。勘平は水鉄砲で斧定九郎を撃ち、討ち入りの場面では、義士たちが炭小屋に隠れた師直を胴上げし、最後には、桃井若狭之介のとりなしで仲直りの指きりをして終わる。主要な登場人物、話の流れはそのままに、当時の子供たちの遊びや玩具を取り合わせた構想がなされている。一九らしい穏やかな滑稽と、当時の風俗を読み取ることができる作品である。(H.Sa)

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3.3.21 黄表紙 『忠臣蔵前世幕無』

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「忠臣蔵前世幕無」(ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし)

山東 京伝(著)、北尾 重政(画)
中本1冊 黄表紙
出版:寛政6年(1794)序
早稲田大学図書館 蔵 ヘ13 02056 0013
【前後期展示】.

■ 解説
 本作では、過去・現在・未来を幕無(立て続け)の芝居のようであるとし、「仮名手本忠臣蔵」の登場人物たちの前世が題材にされた。五段目に登場する定九郎の前世は性格が卑しく、親爺を次々と殺す新であり、その報いで定九郎に生まれ変わり、盗人となり、鉄砲に撃たれる因果の道理を説く。また、定九郎の前世が、魚売り(勘平の前世)が持ってきた河豚に毒があることも知らずに買おうとする場面は、猛毒を持つ河豚の「てっぽう」の異名を踏まえ、定九郎が勘平の鉄砲に倒れる場面とうまく結び付けられている。ほかにも、ある夜に勘平の前世が火鉢を抱いて、借りていた縞の浴衣(これは定九郎の前世から与市兵衛の前世が借りていたもの又借りしたもの)を焦がし、どうしようもなくなり自分の布のはらわた(綿)を出して纏ったという、勘平の切腹との因果を見事に表現している。(Y.I.a)

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3.3.22 仇枕忠臣蔵

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「仇枕忠臣蔵」

国芳(著・画)
錦絵摺/半紙本 三冊 艶本
出版:安政年間(1854~1860) 江戸
立命館ARC所蔵 arcBK03-0138

【後期展示】.

解説
 「
仮名手本忠臣蔵」になぞらえた春本である。春本は、男女の交わりを描いた作品を指す。本作は、それぞれの段で恋愛要素のある人物を取り上げて行為を描くほか、討入りでは混乱に乗じて浪士たちが思い思いに行為に及んでいる様子を描いている。各段に性行為のワンシーンを描くのみだけでなく、文章を書き加えることでストーリー性を高め読み物としても楽しむことができる。引き上げの場では、浪士たちが高師直の首ではなく打ち取った男性器を高々と掲げており、滑稽さを見ることができる。(M.Oa)

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3.3.23 狂歌本 『忠臣蔵当振舞』

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「(狂歌)忠臣蔵当振舞」

石川雅望(判)・葛飾北岱(画)
中本1冊 絵入滑稽本
出版:享和3年(1803) 江戸
早稲田大学図書館所蔵 へ09 04225
【前後期展示】.

■解説
 本作品は、「仮名手本忠臣蔵」の登場人物を役柄に分けて位付けをし、狂歌で評を記したものである。
 狂歌とは、和歌の形式のなかに反古典的な機知や俗情をよみ込む文芸で、よく人の知る文芸や成語のもじり、あるいは縁語・懸詞の複雑な組合せなどの技巧が好んで用いられた。
  なお、作品名にある「当振舞」とは、演劇の興行が成功し利益を得た際、興行元が主催となり、俳優たちに慰労の宴を行うことを指す。(H..Sa)

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3.3.24 忠臣蔵あなさがし

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「忠臣蔵あなさがし」

折本1帖 絵入川柳
出版:天保年間(1830~)頃 江戸
白樺文庫所蔵  shiBK03-0045
【前期展示】.

解説
 本作は「仮名手本忠臣蔵」のストーリーをもとに作られた川柳をまとめたものである。
川柳とは江戸時代中期に流行した五・七・五の形で人事・世相・歴史などを風刺した。タイトルの柳樽は川柳のことを指しており、柳樽は、初編から十七編まで存在して大流行した。本作は、柳樽の語を用い、川柳とそれに関係する場面や風刺した絵が散りばめられた構図になっている。
 五段目の勘平が猪を狙って撃った弾が定九郎に当たった場面を「定九郎ハいのちの親と猪ハいゝ」(右下)と詠んだり、くすりと笑えるものが収録されている。詠まれた川柳は「仮名手本忠臣蔵」のストーリーを知らなければ、面白がれないものであり、それだけ「仮名手本忠臣蔵」が人口に膾炙していて、周知のものだったということである。(M.Oa)

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3.3.25 「忠臣蔵 六段目」~「忠臣蔵 十段目」

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「忠臣蔵 六段目・七段目・八段目・九段目・十段目」

広重〈1〉 大判/錦絵(横) 戯画
出版:嘉永頃(1850) 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP2917
【前後期展示】.

 ■解説
 本作の落款には、広重戯画とある。戯画とは、滑稽さを表現した絵、または戯れに描かれた絵のことであり、天保の時代から多く描かれるようになる。
 本作では、「仮名手本忠臣蔵」の内、六段目から十段目まで、それぞれの章段を象徴する場面が、軽妙な絵と滑稽な句で構成されている。おそらく、大序から五段目までもあり、討入りもあるいは1枚で構成されていたか。(H.Sa)

3.3.26 見立ちう身ぐら

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「見立ちう身ぐら」

国芳 大判/錦絵 戯画 抜文句
出版:嘉永年間から文久年間ヵ 江戸
立命館ARC 蔵 arcUP3792 
【前後期展示】

■ 解説
 「地震」「なまづ」「ひとだすけ」など、主に災害(地震)を主題にした戯画の上部に「仮名手本忠臣蔵」の抜文句を添える。たとえば中段右から二番目は「吉原で死んだ人」に対する抜文句「日本一のあほうのかゞみ」は、九段目の「主君の仇を報ずる所存もなく 遊興に耽り 大酒に性根を乱すイヤモ日本一の阿呆の鏡」という祇園で遊び呆ける由良之助を評する本蔵の言葉を引いて現実世界とうまく重ね合わせる。「妻子を見殺し」の「四十四のほねぼねもくだくる様にあったわい」は、七段目の「いやと言われず、応と言われぬ胸の苦しさ、喉を通したその時の心、どのようにあろうと思う。五体も一度に悩乱なし、四十四の骨々も砕くるようにあったわい」という由良之助がスパイである九太夫の襟髪を掴みながらのセリフからの引用である。
 「仮名手本忠臣蔵」の抜文句は通常九段目から引用してくることが多いが、本作は各段にわたって引用がなされる。地震という非常事態の最中にも、「仮名手本忠臣蔵」という娯楽が人々の脳裏に深く浸透していたことを示す作品である。(Y.I.a)

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3.3.27 大阪市中人心 忠九抜文句画合

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「大阪市中人心 忠九抜文句画合」

作者不明 大大判/墨摺 一枚摺抜文句
出版:慶応4年(1868)1月
立命館ARC所蔵 arcUP3864
【前後期展示】.

■解説
 抜文句は江戸後期に生まれた落書風戯文で、当時の風俗や世相、事件などを人気浄瑠璃の詞章の一部に見立てて滑稽・風刺をきかそうとしたものである。
 特に「仮名手本忠臣蔵」九段目から文句(せりふ)をとり、それに世相・事件を見立てたものが多く存在する。
 本作も「忠九」とあるように、「仮名手本忠臣蔵」九段目から文句を抜いた作品である。慶応4(1868)正月上旬に大阪で起きた大火事の様子を抜文句で描写する。鳥羽・伏見の戦いにより19日に大阪城本丸から出火した火事のことではないかと推測される。短冊型のコマの上に抜いた文句を、下にそれに対する皮肉や風刺を書いている。また、帯状に描かれた絵は上の文章と対応しつつ、火から避難する人々が描かれている。(M.Oa)

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