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5.1.01 『元禄快挙録』
『元禄快挙録』
立命館大学ARC所蔵
■解説
当時は日露戦争が終結したころであり、武士道を再評価する気運が高まっていたこと、また日南が国粋主義者であったことから、忠孝礼賛・指導者顕彰の立場によって赤穂浪士事件を解説しているものである。
5.1.02 桃中軒雲右衛門
【前後期展示】
桃中軒雲右衛門は関東の祭文師吉川繁吉の次男として生まれ、幼時より小繁として活動。父没後跡を継いで二代目繁吉となる。その後関西に活動の拠点を移し、名を桃中軒雲右衛門に改める。数年後、福岡を拠点とし再修業を行うが、福本日南らと接触することで「義士伝」を前面に立てるようになり、九州全土で人気を博した。その人気を受け東上して政官財の大物たちが来場する本郷座で『赤穂義士伝』を語り連日大入りとなる。これによって卑しまれてきた浪花節の社会的地位を一挙に引き上げた。
引く手あまたとなった雲右衛門は日本の各地で公演を行い、1912年7月には日本芸能界の殿堂である歌舞伎座で公演を行い、39歳にして名実ともに日本芸能界の頂点に立った。
雲右衛門の最大の魅力は息の長いことである。例えば合計十秒ほどの「何が何して何とやら」を普通は「何が何して」息継ぎ「何とやら」と語る。しかし彼はこれを一息で語り、さらに息継ぎをしないまま次の文句へ進む。一息に二~三十秒間も語ることができ「三段流し」といわれた。当時の人気番付によると「桃中軒雲右衛門」の七文字の一部を使って、天光軒、天中軒、雲井、○○右衛門と改名する者も多く、影響の大きさが伺える。
浪花節とは浪曲ともいい、一人で三味線の伴奏に合わせて物語を歌い語る芸である。明治期に桃中軒雲右衛門がそれまで寄席芸であった浪花節を劇場芸へと高めた。(今中)
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『 元禄忠臣蔵』
5.1.04 『赤穂浪士』
『赤穂浪士』
大佛次郎(著)
出版:昭和3年(1928)(初版)
立命館大学図書館所蔵
【前後期展示】.
■解説
赤穂の浪人たちが忠義のために吉良の首を狙う、という形でのみ描かれてきた物語を、時代の移り変わりとそれに逆流する者たちという大きな枠組みの中で捉え直し、忠臣蔵に新しい視点を取り入れた小説である。
「赤穂浪士」という呼称は本作品によって普及したが、それまで定着していた呼称である「義士」との相違点は、「義士」が忠義を体現する存在であるのに対し、「浪士」は体制に抗う存在であるという点である。
『赤穂浪士』の「浪士」たちは、武家の世の中から商人や政治家の世の中へという流れに抗い、吉良討入りを通して、その背後にいる柳沢吉保という巨大な政治勢力に挑んでいく。初出は『東京日日新聞』の連載で、関東大震災や世界恐慌といった苦難のなかで政府の支援を受けた大企業ばかりが成長し、貧富の差が膨らんでいくという昭和初期の世相を反映している。(川内a)
5.1.05 四十七人の刺客
『四十七人の刺客』
池宮彰一郎(著)
1992年初版(展示品は1995年版)
立命館大学図書館所蔵
【前後期展示】.
■解説
浅野内匠頭の切腹から吉良邸討入りまでを、大石内蔵助と上杉家家老・色部又四郎との頭脳戦として描く。
この小説では、大石の仇討の意志は城受け渡しのときから明確であった。
吉良が賄賂を好んだという認識さえも仇討を後押しする世論を作るために大石たちが流した噂とし、根っからの悪人ではない吉良像を提示した点が新しい。
身の覚えのない悪い噂や警護により行動が狭められていく中で気力を失う吉良の姿は、ステレオタイプ的な吉良像とは逆のものである。
内蔵助の人物像も従来の描き方とは異なり、討入り前の指示として従来の典型であった「狙うは吉良の首ただ一つ」が本作では吉良邸の者すべて討ち取るように、というものになっている。
1994年に市川昆監督・高倉健主演によって映画化され、テレビドラマで内匠頭を演じたこともある中井貴一が吉良を守護する内蔵助の宿敵・色部を演じている。(川内)
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