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2.0.00 登場人物関係図

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2.0.01 登場人物

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「張交忠臣蔵」
「大序」「塩冶判官」「高師直」「桃井若狭之助」「二段目」「大星力弥」「小なみ」「三段目」「早野勘平」「おかる」「四段目」「石堂右馬之丞」「塩冶判官」「山名次郎左衛門」「五段目」「定九郎」「与一兵衛」「六段目」「弥五郎」「勘平」「郷右衛門」「七段目」「平右衛門」「おかる」「八段目」「女馬士」「奴つく内」「九段目」「おいし」「加古川本蔵」「十段目」「天川屋儀平」「女房おその」「十一段目大切」「夜討」

国貞〈2〉 大判/錦絵 役者絵・通し絵
出版:安政3年(1856)11月 江戸 (見立)
立命館ARC所蔵 arcUP2742-2744
【パネル展示】.


■解説
 本作も通し絵の趣向であるが、タイトルにもあるようにいくつもの駒絵を張込んだデザインで、「張交絵」と呼ぶ。駒絵には人物を対比する形で描かれており、主要登場人物を中心にして忠臣蔵全体がわかるようになっている。

①高師直 桃井若狭之助 塩冶判官:大序
鶴が岡の場、師直に若輩者呼ばわりされ憤る桃井に冷静な塩冶判官が割込む。この師直は、この場では塩冶の妻顔世への横恋慕をみせるが、この場のこうした人物関係が、多くの様々な身分の登場人物たちの運命を狂わせていくことになる。

②大星力弥 加古川娘小浪:二段目
桃井館の場、使者の大星力弥の口上を受取る小浪。しかし、許嫁の力弥に見とれる様子である。この初々しい二人の恋も、事件により破綻していく。

③おかる 早野勘平:三段目
顔世の腰元のお軽は勘平を誘惑。勘平は、主君の大事に逢引をしていて、駆けつけることができなかったが、お軽の誘いにより、山崎の里へ落ちようとする。すでに夫婦気取りのお軽である。
  
石堂右馬之丞 山名次郎左衛門 塩冶判官:四段目
すでに切腹の覚悟を決めた判官を取囲むかたちで、検死の使者に情けを含む石堂と、容赦ない対応を示す薬師寺との関係が表情からも読み取れる。
 
⑤斧定九郎 与一兵衛:五段目
お軽の父与一兵衛がむごたらしくも街道で盗賊となった定九郎に殺される。二人には、以前には何らの関係はなく、五十両の金を懐にいれているのが偶然にも知られたというだけのことなのである。
 
⑥千崎弥五郎 原郷右衛門 早野勘平:六段目
勘平が与一兵衛を手にかけたといういきさつを知った郷右衛門と弥五郎は驚き、刀を取って勘平の左右に立ち、思いもよらぬ悪党となった勘平を湖尻で押さえる。八方塞がりとなった勘平の状況が描かれる。
 
⑦寺岡平右衛門 お軽:七段目
妹がどうあっても殺されてしまう命だと知り、それならば自分が命をもらい、手柄にしようとお軽に切りつける兄平右衛門。兄は、与一兵衛の死も、勘平の死も知っているが、お軽はなにも知らぬまま、兄が振上げる刀におびえるしかない。まさに、寺岡の家が塩冶浪人の敵討のために崩壊する姿を象徴する。
 
⑧奴べく内 女馬士お六:八段目
山科の大星家に向かうのは、加古川本蔵妻戸無瀬と娘小浪。しかし、この場は、七段目と九段目の山場に挟まれているため一息。本筋とは関係ない人物である。
 
⑨加古川本蔵 お石:九段目
加古川本蔵は、師直に取入ることで主人の桃井を救うことができたが、肝心の自らの家族の運命を破滅に導き、自分自身も死へと追いやる。お石と相対することで、加古川家と大石家の家長同士の関係ではなく、娘と息子との婚姻によって二つの家が縁続きとなるという関係を強調することになる。
 
⑩天河屋義平 お園:十段目
事件に巻き込まれなければ幸せな夫婦・家族であった天河屋。しかし、町人であるこの家にまでも、事件の影響は及んできた。武士と同様、町人も奉公人もいたが、みな解雇されている。お園も離縁されることで最愛の息子と引離される。この物語では、しかし大星の計らいによって、なんとか家庭崩壊は免れる。
 
⑪夜討
師直の首をとって引揚げる由良之助と浪士たち。先頭をいく由良之助が同志の者らを振り返ってみることで、この集団の結束を確かめているようである。
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2.1.01 大石内蔵助

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「大星蔵之助藤原良雄」 

豊国〈3〉 掛物絵/錦絵 武者絵
出版:嘉永1年(1848) 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP4526-4527
後期展示.

■解説
 赤穂事件の立役者として有名な大石内蔵助像である。
赤穂義士の頭領であった内蔵助は兵学を山鹿素行に、漢学を伊藤仁斎に学んだとされる。上部には、内蔵助の伝が誌されるが、鎌倉殿中、敵師直などとあるように、「仮名手本忠臣蔵」での虚構と史実が混じり合って誌されている。
 この「仮名手本忠臣蔵」には、演劇というジャンルを超えて、小説・講談・絵画にも数多くの書き替え物と称すべき作品が派生した。その内、幕末期より盛んになったのが実録物で、志士の人物に焦点を当てた外伝物である。明治期になると実名で使用が許され、外伝もより推奨されていく。
 なお、本作品は掛け物絵といい、表装して掛け物にできるよう上下をつなぎ合わせる。そのため、通常の大判の料紙よりも若干幅が狭いのである。(A.Ka) 

 

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2.1.02 無念の城渡し 

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「小倉擬百人一首」
「大星由良之助」「大星力弥」「道因法師」

国芳 大判/錦絵 物語絵
出版・上演:弘化4年(1847)頃 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP2976
【前期展示】.

■解説
 判官切腹の後、城明け渡しに反対する若侍たちが険悪な雰囲気で立ち騒いでいた。そこへ判官の切腹に力弥とともに立ち会った由良之助は、判官が切腹に使った九寸五分の刀を見せ、師直に返報しこの刀でその首をかき切ろうと説得する。人々は「げにもっとも」とその言葉に従う。だが、屋敷の内で薬師寺次郎左衛門が、「師直公の罰があたり、さてよいざま」と言うとどっと笑い声が起こる。その悔しさに屋敷内へと駆け込もうとする諸士を由良之助はとどめ、「先君の御憤り晴らさんと思ふ所存はないか」と言うので皆は無念の思いを抱きつつも、この場を立ち去る。
 本作では、由良之助、決意を固めた表情が印象的であるが、控える息子・力弥も、刀を桃燈の明かりで照らしながら、父の決意に随う様子が、しっかりと描かれている。いまだ、前髪の残る若年者ながらにも、討入りでは、裏門から攻めるリーダーとして活躍した力弥の強い意思が、すでにこの時から伝わってくる。(A.Ka)

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2.1.03 親子の最期

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「誠忠大星一代話」 「三十三」 

豊国〈3〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永1年(1848)
立命館大学ARC所蔵 arcUP0698
【後期展示】.

■解説
 「誠忠大星一代話」は、嘉永元年春に行なわれた高輪泉岳寺の開帳に合せて刊行されたシリーズで、大星由良之助の生涯を描いた三十五枚揃の作品。各作品ごとに、大星由良之助の虚実入り交じった逸話を紹介している。このシリーズの大きな特徴として、物故者を含めた様々な名優たちの似顔を使って由良之助の顔を描いていることが挙げられる。初期の由良之助役者として著名な初代沢村宗十郎や初代尾上菊五郎に始まり、実際には由良之助役を演じたことのない二代目市川団十郎など、多彩な顔ぶれが揃っている。
 本作は、三十三枚目で、由良之助と息子の力弥を描いている。添えられた文章には、討入りを終えた由良之助と力弥の様子が書かれている。
 「最早親子今生の別れ。最期に未練のある振舞をすれば後代までの恥辱となる。母兄弟の事など夢にも心に思うな」と力弥に諭しつつも、由良之助の頬には涙が落ちる。それを見た力弥も、流れる涙をぬぐいもせず父を見つめている。これこそ親子のこの世の別れ、心の中を推しはかられると四十七義士の面々も涙に袖を濡らし見守っているのであった。(A.Ka) 

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2.2.1 道行旅路の花聟

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「第三段目」「早の勘平 鷺坂伴内 こし元おかる」 

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
上演:万延元年(1860)4月 江戸・中村座
「仮名手本忠臣蔵」三段目「道行旅路の花聟」
立命館大学ARC所蔵 arcUP2950
【前期展示】.

■解説
 本作では、山崎に落ちていくお軽と勘平、そして彼を捕らえ、お軽を手に入れようとする伴内が対峙する場面を表情豊かに描いている。勘平・お軽・伴内の三角関係を如実に表した構図であると言えよう。本作で描かれる場面の前、顔世御前から師直への文を携えたお軽がやって来る場面での勘平と伴内の駆け引きは言葉の応酬であったが、今回は刃傷が起きた後、二人の立場が逆転した後の姿を描く。それでも、お軽と勘平の絆に伴内が割込むことができない。寺岡家の崩壊を導く運命を覆すことはできないのである。 (K.Ka) 

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2.2.2 道行旅路の花聟

arcUP1988s.jpg「仮名手本忠臣蔵 三段目」

国貞〈2〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永4年(1851)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1988
【後期展示】.

 ■解説

 山崎に落ちていくお軽と勘平、そして彼を捕らえ、お軽を手に入れようとする伴内が描かれる。裏門と呼ばれる。現在は、このあとの場面として「道行旅路の花聟」という道行へと進んでいくが、この道行浄瑠璃は、原作「仮名手本忠臣蔵」にはなく、天保4年(1833)3月河原崎座で初めて上演されたものである。「旅路の花聟」では、戸塚の山中で、伴内が追いつき、お軽を渡せと迫るため、この道行が出ると、裏門は必要なくなって、カットされることが多くなった。
 伴内がお軽を手に入れようとするのは、師直が顔世御前の横恋慕のパロディであり、伴内の恋が成就しないことで、勘平の自刃を引き起こす。塩冶家の崩壊と勘平が入った与一兵衛一家の崩壊がもどきの関係で描かれている。 (K.Ka)

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2.2.3 逃れられない悲劇の家

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「忠臣蔵 五段目」
「斧定九郎 大谷紫道」「与一兵衛 坂東太郎」

国周 大判/錦絵 役者絵
上演:明治元年(1868)10月 江戸・中村・守田(合同)
「東京忠臣由良意」
立命館大学ARC所蔵 arcUP2943
【後期展示】.

■解説
 右上に描かれているのは塩冶家家臣・斧定九郎。父は斧九太夫で、家老の一人。四段目の城を明け渡す評定の場では、父とともに逐電した。今は、街道に現れ追いはぎを働く盗賊と身を落としている。この定九郎が山崎街道で出会い、金銭を強奪するに至った相手が、お軽の父、そして早野勘平の義父与一兵衛である。与一兵衛は、娘婿の勘平のために工面した五十両を入れていた財布を定九郎に奪われ、殺されてしまう。しかも、このあと定九郎は、勘平が猪を目がけて撃った流れ弾に当たって命を落とし、奪った五十両入りの財布は、勘平の手に入る。定九郎が与一兵衛を餌食にしたのは、単なる偶然。そして、定九郎が撃たれたのもまさに偶然。しかし、与一兵衛一家の悲劇は、こうして逃れることのできない悲劇として運命づけられているのである。(K.Ka)

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2.2.4 与一兵衛宅にて

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「女房おかる」「早野勘平」

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
上演:万延元年(1860) 4月江戸・中村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵 arcUP1145-1146
【前期展示】.

■解説
 六段目、お軽の実家である与一兵衛住家。身売りのため、身支度を整えるお軽であるが、すでに自分が親の与一兵衛を殺したのではないかと思い始めた勘平は、上の空である。後方に見える鏡台は、祇園町に売られたあとは、用もなくこの家に残ることを意味しており、勘平以上にお軽との別れを惜しんでいるように見える。本来ならば、自分のために身をうることになってお軽と勘平の夫婦の情愛の籠もった別れを描く場面であるが、すでに偶然の所為により運命の食違ったこの二人の夫婦、そしてこの一家には、別れの悲しみすら共有することができない。まさに、悲劇の前触れを描いている。(K.Ka)

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2.2.5 おかやの怒り

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 「六段目 勘平内の場」

作者不詳 小判/錦絵 物語絵
出版年:明治時代
立命館大学ARC所蔵 arcUP4031
【後期展示】.

■解説
 猟師たちが運んできた与一兵衛の遺体を見ても驚かなかった勘平の様子と、勘平の懐に入っていた財布に、お軽の母おかやは与一兵衛を殺したのは勘平だと確信する。「親父殿をもう一度生き返らせてくれ」と勘平の髪を引っ掴み、むしょうに叩くおかや。その哀しみの念が、舅を殺してしまった罪の意識に駆られる勘平を追い詰めていく。
 戸口では、深編笠をかぶった原郷右衛門と千崎弥五郎が訪ねてくる。この二人は、主君・塩谷判官を弔う石碑建立のために勘平が由良之助へ届けた50両を返しにやって来たのである。
 主君・塩冶判官への忠義を尽くすこともできず、自分のために金を工面してくれた舅も殺してしまった。二つの罪を背負ったと誰もが思い込む。自ら災いをこの家族に持込んだ勘平は、この勘違いによって、自らの命も絶ち、残されたのは、憐れな老母一人という極限の家族崩壊劇を完成させるのである。 (K.Ka)

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