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2.1.0 大星由良之助と力弥

 仮名手本忠臣蔵における中心人物である大星由良之助。彼は主君・塩冶判官の無念を晴らすため、敵討ちを決意する。主君を想う家老であり、また子供を持つ親であった由良之助。彼は忠義の為に命を捨てようとし、その忠義に息子・力弥をも巻き込んでしまう。自らの妻・お石との別れ、また息子夫婦の別れ、そして力弥との別れ。様々な悲劇を起こしつつも進んでいく物語は、由良之助の死によって幕を閉じるのである。(a)

2.1.01 大石内蔵助

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「大星蔵之助藤原良雄」 

豊国〈3〉 掛物絵/錦絵 武者絵
出版:嘉永1年(1848) 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP4526-4527
後期展示.

■解説
 赤穂事件の立役者として有名な大石内蔵助像である。
赤穂義士の頭領であった内蔵助は兵学を山鹿素行に、漢学を伊藤仁斎に学んだとされる。上部には、内蔵助の伝が誌されるが、鎌倉殿中、敵師直などとあるように、「仮名手本忠臣蔵」での虚構と史実が混じり合って誌されている。
 この「仮名手本忠臣蔵」には、演劇というジャンルを超えて、小説・講談・絵画にも数多くの書き替え物と称すべき作品が派生した。その内、幕末期より盛んになったのが実録物で、志士の人物に焦点を当てた外伝物である。明治期になると実名で使用が許され、外伝もより推奨されていく。
 なお、本作品は掛け物絵といい、表装して掛け物にできるよう上下をつなぎ合わせる。そのため、通常の大判の料紙よりも若干幅が狭いのである。(A.Ka) 

 

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2.1.02 無念の城渡し 

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「小倉擬百人一首」
「大星由良之助」「大星力弥」「道因法師」

国芳 大判/錦絵 物語絵
出版・上演:弘化4年(1847)頃 江戸
立命館ARC所蔵 arcUP2976
【前期展示】.

■解説
 判官切腹の後、城明け渡しに反対する若侍たちが険悪な雰囲気で立ち騒いでいた。そこへ判官の切腹に力弥とともに立ち会った由良之助は、判官が切腹に使った九寸五分の刀を見せ、師直に返報しこの刀でその首をかき切ろうと説得する。人々は「げにもっとも」とその言葉に従う。だが、屋敷の内で薬師寺次郎左衛門が、「師直公の罰があたり、さてよいざま」と言うとどっと笑い声が起こる。その悔しさに屋敷内へと駆け込もうとする諸士を由良之助はとどめ、「先君の御憤り晴らさんと思ふ所存はないか」と言うので皆は無念の思いを抱きつつも、この場を立ち去る。
 本作では、由良之助、決意を固めた表情が印象的であるが、控える息子・力弥も、刀を桃燈の明かりで照らしながら、父の決意に随う様子が、しっかりと描かれている。いまだ、前髪の残る若年者ながらにも、討入りでは、裏門から攻めるリーダーとして活躍した力弥の強い意思が、すでにこの時から伝わってくる。(A.Ka)

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2.1.03 親子の最期

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「誠忠大星一代話」 「三十三」 

豊国〈3〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永1年(1848)
立命館大学ARC所蔵 arcUP0698
【後期展示】.

■解説
 「誠忠大星一代話」は、嘉永元年春に行なわれた高輪泉岳寺の開帳に合せて刊行されたシリーズで、大星由良之助の生涯を描いた三十五枚揃の作品。各作品ごとに、大星由良之助の虚実入り交じった逸話を紹介している。このシリーズの大きな特徴として、物故者を含めた様々な名優たちの似顔を使って由良之助の顔を描いていることが挙げられる。初期の由良之助役者として著名な初代沢村宗十郎や初代尾上菊五郎に始まり、実際には由良之助役を演じたことのない二代目市川団十郎など、多彩な顔ぶれが揃っている。
 本作は、三十三枚目で、由良之助と息子の力弥を描いている。添えられた文章には、討入りを終えた由良之助と力弥の様子が書かれている。
 「最早親子今生の別れ。最期に未練のある振舞をすれば後代までの恥辱となる。母兄弟の事など夢にも心に思うな」と力弥に諭しつつも、由良之助の頬には涙が落ちる。それを見た力弥も、流れる涙をぬぐいもせず父を見つめている。これこそ親子のこの世の別れ、心の中を推しはかられると四十七義士の面々も涙に袖を濡らし見守っているのであった。(A.Ka) 

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