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2.2.0 与一兵衛一家

  塩冶家の家臣であった勘平は、主君の一大事に腰元のおかると逢引していたがために駆けつけることができなかった。自らの不甲斐なさに切腹して果てようとするものの、お軽が自分の故郷である山崎の里へ駆け落ちようと提案する。勘平はその言葉に随い、お軽の実家に身を寄せる。そして、この塩冶浪人は、農家の一家である寺岡家を崩壊させていくのである。
 「仮名手本忠臣蔵」では結果的に舅の敵討ちをした勘平であったが、自らの早とちりで命を落とす。一方、身分は低いが、足軽として武士に取立ててもらっていたお軽の兄平右衛門は、妹を殺してまでも判官の敵討ちに参加させてもらおうとする。寺岡一家を巻き込んだ悲劇は、二人の息子たちが、その功績が認められ連判状に名を連ねることで終わりを告げるのである。(a)

2.2.1 道行旅路の花聟

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「第三段目」「早の勘平 鷺坂伴内 こし元おかる」 

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
上演:万延元年(1860)4月 江戸・中村座
「仮名手本忠臣蔵」三段目「道行旅路の花聟」
立命館大学ARC所蔵 arcUP2950
【前期展示】.

■解説
 本作では、山崎に落ちていくお軽と勘平、そして彼を捕らえ、お軽を手に入れようとする伴内が対峙する場面を表情豊かに描いている。勘平・お軽・伴内の三角関係を如実に表した構図であると言えよう。本作で描かれる場面の前、顔世御前から師直への文を携えたお軽がやって来る場面での勘平と伴内の駆け引きは言葉の応酬であったが、今回は刃傷が起きた後、二人の立場が逆転した後の姿を描く。それでも、お軽と勘平の絆に伴内が割込むことができない。寺岡家の崩壊を導く運命を覆すことはできないのである。 (K.Ka) 

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2.2.2 道行旅路の花聟

arcUP1988s.jpg「仮名手本忠臣蔵 三段目」

国貞〈2〉 大判/錦絵 物語絵
出版:嘉永4年(1851)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1988
【後期展示】.

 ■解説

 山崎に落ちていくお軽と勘平、そして彼を捕らえ、お軽を手に入れようとする伴内が描かれる。裏門と呼ばれる。現在は、このあとの場面として「道行旅路の花聟」という道行へと進んでいくが、この道行浄瑠璃は、原作「仮名手本忠臣蔵」にはなく、天保4年(1833)3月河原崎座で初めて上演されたものである。「旅路の花聟」では、戸塚の山中で、伴内が追いつき、お軽を渡せと迫るため、この道行が出ると、裏門は必要なくなって、カットされることが多くなった。
 伴内がお軽を手に入れようとするのは、師直が顔世御前の横恋慕のパロディであり、伴内の恋が成就しないことで、勘平の自刃を引き起こす。塩冶家の崩壊と勘平が入った与一兵衛一家の崩壊がもどきの関係で描かれている。 (K.Ka)

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2.2.3 逃れられない悲劇の家

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「忠臣蔵 五段目」
「斧定九郎 大谷紫道」「与一兵衛 坂東太郎」

国周 大判/錦絵 役者絵
上演:明治元年(1868)10月 江戸・中村・守田(合同)
「東京忠臣由良意」
立命館大学ARC所蔵 arcUP2943
【後期展示】.

■解説
 右上に描かれているのは塩冶家家臣・斧定九郎。父は斧九太夫で、家老の一人。四段目の城を明け渡す評定の場では、父とともに逐電した。今は、街道に現れ追いはぎを働く盗賊と身を落としている。この定九郎が山崎街道で出会い、金銭を強奪するに至った相手が、お軽の父、そして早野勘平の義父与一兵衛である。与一兵衛は、娘婿の勘平のために工面した五十両を入れていた財布を定九郎に奪われ、殺されてしまう。しかも、このあと定九郎は、勘平が猪を目がけて撃った流れ弾に当たって命を落とし、奪った五十両入りの財布は、勘平の手に入る。定九郎が与一兵衛を餌食にしたのは、単なる偶然。そして、定九郎が撃たれたのもまさに偶然。しかし、与一兵衛一家の悲劇は、こうして逃れることのできない悲劇として運命づけられているのである。(K.Ka)

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2.2.4 与一兵衛宅にて

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「女房おかる」「早野勘平」

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
上演:万延元年(1860) 4月江戸・中村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵 arcUP1145-1146
【前期展示】.

■解説
 六段目、お軽の実家である与一兵衛住家。身売りのため、身支度を整えるお軽であるが、すでに自分が親の与一兵衛を殺したのではないかと思い始めた勘平は、上の空である。後方に見える鏡台は、祇園町に売られたあとは、用もなくこの家に残ることを意味しており、勘平以上にお軽との別れを惜しんでいるように見える。本来ならば、自分のために身をうることになってお軽と勘平の夫婦の情愛の籠もった別れを描く場面であるが、すでに偶然の所為により運命の食違ったこの二人の夫婦、そしてこの一家には、別れの悲しみすら共有することができない。まさに、悲劇の前触れを描いている。(K.Ka)

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2.2.5 おかやの怒り

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 「六段目 勘平内の場」

作者不詳 小判/錦絵 物語絵
出版年:明治時代
立命館大学ARC所蔵 arcUP4031
【後期展示】.

■解説
 猟師たちが運んできた与一兵衛の遺体を見ても驚かなかった勘平の様子と、勘平の懐に入っていた財布に、お軽の母おかやは与一兵衛を殺したのは勘平だと確信する。「親父殿をもう一度生き返らせてくれ」と勘平の髪を引っ掴み、むしょうに叩くおかや。その哀しみの念が、舅を殺してしまった罪の意識に駆られる勘平を追い詰めていく。
 戸口では、深編笠をかぶった原郷右衛門と千崎弥五郎が訪ねてくる。この二人は、主君・塩谷判官を弔う石碑建立のために勘平が由良之助へ届けた50両を返しにやって来たのである。
 主君・塩冶判官への忠義を尽くすこともできず、自分のために金を工面してくれた舅も殺してしまった。二つの罪を背負ったと誰もが思い込む。自ら災いをこの家族に持込んだ勘平は、この勘違いによって、自らの命も絶ち、残されたのは、憐れな老母一人という極限の家族崩壊劇を完成させるのである。 (K.Ka)

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2.2.6 忠義心の果て

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「一力内於加留」 「寺岡平右衛門」  「大星由良之助」
国周 大判/錦絵 3枚続 役者絵
上演:慶応2年(1866)7月 江戸・市村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵 arcUP4382-4384
【前後期展示】.

■解説
 七段目、祇園一力茶屋。平右衛門は、敵討ちへの同行を許してもらうため、義理の弟早野勘平が一味に加えてもらうために売られた妹のお軽の命を奪おうとする。まさに、六段目での寺岡家の悲劇の再現をみるものであるが、しかし武士ではないお軽が殺されることはない。武士の側のリーダー由良之助がこれを制止するからである。足軽という軽い身分ながらも他の家臣よりも強い忠義心を見せるのは、十段目の天川屋平右衛門と軌を一にする。(K.Ka)

 

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