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2.2.6 忠義心の果て

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「一力内於加留」 「寺岡平右衛門」  「大星由良之助」
国周 大判/錦絵 3枚続 役者絵
上演:慶応2年(1866)7月 江戸・市村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵 arcUP4382-4384
【前後期展示】.

■解説
 七段目、祇園一力茶屋。平右衛門は、敵討ちへの同行を許してもらうため、義理の弟早野勘平が一味に加えてもらうために売られた妹のお軽の命を奪おうとする。まさに、六段目での寺岡家の悲劇の再現をみるものであるが、しかし武士ではないお軽が殺されることはない。武士の側のリーダー由良之助がこれを制止するからである。足軽という軽い身分ながらも他の家臣よりも強い忠義心を見せるのは、十段目の天川屋平右衛門と軌を一にする。(K.Ka)

 

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2.3.00 大星家と加古川家

  大星由良之助の息子力弥と加古川本蔵の娘である小浪は許嫁で相思の仲であった。「仮名手本忠臣蔵」では三つの恋が展開されるが、その中で最も幼く、そして切ないのがこの二人の恋である。さらに二人の家族をも巻き込んで運命の歯車が狂っていく。
 本蔵が塩冶判官を抱き留めたことで、師直への刃傷は未遂に終わり、塩冶判官の無念はこの地に止まることになる。塩冶家は御家断絶という結末を迎えるが、これにより、力弥と小浪の縁談は自然と破談となり、大星親子は、討入りへと駆り立てられていく。
 主君を思う家老であり、また子供を持つ親という似たような立場である由良之助と本蔵の二人。しかし、由良之助は忠義の為に命を捨てようと決意し、一方で本蔵は子供の為に命を捨てる。二人はまさに鏡のような存在であり、本蔵のセリフにもあるように、どちらの立場にもなり得たのである。
 そして、本蔵の死と引き換えに力弥と小浪の恋を成就することになるが、夫婦として過ごせるのはたった一夜だけ。戸無瀬は夫を失い、また由良之助も討入りに向けてその本蔵の着ていた虚無僧の衣装を身につけ、本蔵の魂共々準備のために旅立っていく。二段目から始まり、八段目、九段目と続いた二つの家族の物語も、ようやく終焉を迎えるが、二つの家族はそれぞれ悲しみを抱え、家庭崩壊という虚しさの残る結末となる。(a)

2.3.01 恋する二人

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「二段目」  「大星力弥 沢村田之助」「小なみ 沢村訥升」

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
上演:文久2年(1862)3月江戸・中村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵  arcUP1956
【前期展示】.

■解説
 力弥と小浪。二人の初々しい恋の様子は、敵討ちを主題とする「忠臣蔵」の物語に、華やかな色を加える。「仮名手本忠臣蔵」の魅力はこうした脇の設定によるところが大きい。
 そして、「恋」が物語の重要なキーとなっている。事件は、すべてのことが恋から始まり、悲劇を生んでいるのだ。恋は三つ描かれているが、悲恋と呼べるのは力弥と小浪の恋であった。
  許嫁の力弥と小浪は相思の仲であったが、父親が捲込まれた刃傷事件の波紋により、二人の運命は暗転していく。二人の恋は二つの家族をも巻き込んで、崩壊の道筋へと向かっていく。 (A.Ya)

2.3.02 両家の衝突

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「仮名手本忠臣蔵 九段目ノ下」
「娘小浪 尾上多賀之丞」 「となせ 嵐璃寛」「大星力弥 中村駒之助」 「加古川本蔵 実川八百蔵」「於いし 片岡松太郎」「大星由良之助 尾上多見蔵」

芳滝 中判/錦絵 6枚続 役者絵
上演:明治7年(1874)5月大阪・角
「仮名手本忠臣蔵」
立命館大学ARC所蔵 arcUP1117-1122
【前後期展示】.

■解説
 この浮世絵は、横に六枚つなげることで大きな一枚として完成する。加古川家、大石家という家老職の二つの家が捲込まれて事件を描くのに相応しいワイド画面を提供している。
 本蔵は、お石を組み敷き、その後「力弥は居らぬか、力弥はいかゞした」と力弥を挑発する。母を足蹴にされた力弥は、母が取り落とした鎗を取るやいなや、すばやく本蔵を突き刺した。本蔵は一声上げてその場に倒れこむ。どうすることもできない戸無瀬と小浪。止めを刺そうとする力弥。そこを由良之助が引留める。
 本蔵はなぜ、自ら力弥の手にかかったのか、またその前になぜ由良之助は止めなかったのか。由良之助は、すでに本蔵の意図を察していたのである。(A.Ya)

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2.3.03 力弥と小浪、最後の逢瀬

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「道化忠臣蔵」
「九段目」「本蔵」「力弥」「小なみ」

芳艶 中判/錦絵 戯画・物語絵
出版:嘉永年間(1848~1854)頃
立命館大学ARC所蔵 arcUP2667
【後期展示】.

■解説
 本蔵が命を落とした後、力弥と小浪は二人でいられる最初で最後の夜を迎える。一方、由良之助は本蔵が着ていた虚無僧姿を借り、討ち入りの準備を整えるために堺の天河屋義平のところへと旅立っていくというのが、九段目の段切れである。
 しかし、本作品は、虚無僧が本蔵であるため、段切ではない。本蔵が到着すると、本来婚儀を拒絶されているはずの小浪は、受入れられて力弥と睦まじく手遊びをしている。もしも、仮にすんなり受入れられていたならば、本蔵はどんな反応となるのかという、悪ふざけの戯画である。
 また、原作では二人はまだ若いながらも一晩だけの契を結ぶことになるが、若い二人にとって最初で最後の夜という意味は、こんなことでなかったかというユーモアで描いた作品でもある。そして、忠臣蔵という事件は、こうしたあどけない二人の関係すら破壊してしまったのだという見方もできるだろう。(A.Ya)

2.4.0 天河屋義平一家

 天河屋義平は町人として登場する。商家を営み、俠気のある頼もしい男である。同時に家族思いな男でもあった。しかし、義平は由良之助から討入りの武器の調達を頼まれ、塩冶家の騒動に巻き込まれていく。自分が商人として成功できたのは塩冶家の引立てがあったからであると武家の家臣以上に塩冶家に恩義に感じていた義平であった。
 義平は町人であるがために討入りへ同行することはできない。そのために、少しでも由良之助らの為に役に立ちたかったのである。ただ、討入りに加担すれば、自分や家族がどうなるかということも考えたであろう。それだけに、一旦決意を固めた義平に心の揺らぎは少しもなかったのである。
 義平は、徹底していた。店や家族の犠牲をも厭わなかった。秘密を守るために奉公人には理由をつけて暇をやり、妻のお園は、嫌いでもないのに離縁し、最愛の息子と離ればなれにしてしまう。そして、偽装して心の内を試す義士たちが息子の命を奪おうとも動ぜず、あまつさえ、自ら子の命を奪おうとさえする。
 一度は義平の心底を疑った由良之助一党であったが、義平の武士にも劣らぬ義侠心を目の当たりにすることで、疑ったことを謝罪し、また、義平の妻のお園との関係を戻すよう取り計らう。最大の忠義者は、あるいは芝居の見物客にもっとも近い、義平であるかのように描かれているのである。そのためか、結果的には義平一家には、大きな悲劇は訪れていない。敵討ちという理不尽な世界が、武士の世界のものであることを言いたかったのかも知れない。(a)

 

2.4.1 義平と於園

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「忠臣蔵銘々伝」「天川屋義平」「女房於園」 

豊国〈3〉 大判/錦絵 役者絵
出版:安政2年(1855)8月 (見立)
立命館大学ARC所蔵 arcUP3482
 【前期展示】.

■解説
 本作に描かれている二人は十段目に登場してくる天河屋義平とその妻お園である。彼らは、「仮名手本忠臣蔵」の中では町人の代表とも言うべき存在である。義平は男気があり、また家族思いでもある。
 義平は義士らの武器調達の秘密を守るため、お園を離縁し、奉公人にも暇をやった。まだ幼い由松は、母と離れて寂しい思いをすることになる。家族思いの彼にとって、この決断は、極めて難しいものだっただろう。
 お園は義平や由松に会いに家を訪ねてくる。父の了竹の存在もこの一家の困難を補強する。なにも知らされないお園にとっての不安は言うまでも無い。こうして、この一家を生活は翻弄されていく。
(A.Ya)

2.4.2 町人義平の男気

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 「仮名手本忠臣蔵 十段目」 

北斎 大判/錦絵〈横〉 物語絵
出版:文化3年(1806)頃 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP1724
【前後期展示】.

■解説
 十段目の見どころはここ!と言い切れるほどに有名な場面である。捕手を装った塩冶浪人たちは、義平の心を試すために「由良之助に頼まれて武器や武具を調達しているのではないか。白状しろ」と責め立てる。言わないとみると、義平の息子の由松を人質にして義平を脅した。
 義平は少しも動揺せずに長持の上に座り、「天河屋義平は男でござる」 と言い放つ。そしてあまつさえ、由松を自らの手で殺そうとまでしたのである。こうして義平は、家族や奉公人らを全て犠牲にして、塩冶の恩に報いようとする。
 左奥では、義平の妻で離縁されたお園が、この家族の崩壊を食止めようと大星の命令で動いた家来によって、髪を切られようとする場面も描いている。(a)

2.4.3 「天河屋義平は男でござる」 ―2 

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「大星由良之助 市川団蔵」「天川屋儀平 沢村訥升」「儀平女房おその 岩井半四郎」

国貞〈1〉 大判/錦絵3枚続 役者絵
上演:天保4年(1833)8月 江戸・市村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館ARC所蔵 arcUP1142-1144
【前後期展示】
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■解説
 由良之助に見込まれた堺の廻船問屋・天河屋義平は、妻を実家へ戻し、奉公人は、口実を設けて暇を出し、一人で義士一同の武具服装を調達して秘かに鎌倉表へ廻漕していた。由良之助は同士の疑念を晴らすため、捕手に扮装させて店に踏み込ませ、義平を捕らえようとする。由良之助たちのために送った荷を入れた長持を持ち出し詰問されるが、自分には身に覚えのないことだと義平は口を割らない。ついには義平の子、由松を人質に詰め寄るが顔色も変えず「天河屋義平は男でござる」と啖呵をきる。なんと長持の中から現れたのは、由良之助であった。義平の丈夫も及ばぬ鉄石心に一同驚嘆し、夜討ちの合言葉として、「天」と呼べば「河」と答えるよう定め、由良之助たちは天河屋を出立しようとする。
 その時一人の女が戸口に立っているのに気付くと、義平の女房のお園であった。わが子、由松の様子を案じているが、義平はお園の親の了竹が斧九太夫に繋がる悪人なので、お園とはいったん縁を切る心であった。だがお園は了竹から離縁状を盗みこっそり抜け出して、了竹とは親子の縁を切るつもりだという。義平も、由松のことを思うと不憫ではあったが、それでも了竹に渡したはずの離縁状を内緒で手にしては、筋が通らないから持って帰れと離縁状を返し、戸口もしっかりと閉めてしまった。ひとり表に残されたお園は、その場で嘆き伏す。やがて、「もう親了竹のもとにも戻れない、自害して果てよう」とするが、由良之助の計らいでお園の髷を切り、尼であれば、同じ屋根の下に暮らしていても夫婦とはいえないから、これで了竹に対しては申し訳が立つだろう。髪はいずれ伸び、櫛笄が髪に挿せるようになったら改めて夫婦として縁を結べばよいと告げ、義平への返礼を残して敵討ちと向かうのであった。(A.Ka)

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2.4.4 訪ねてきたお園

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「忠臣蔵 十段目」

春英 間判/錦絵 物語絵
出版:寛政年間(1795頃) 江戸
立命館大学ARC所蔵 arcUP2741
【後期展示】.

■解説
 本図は、親の了竹が義平に無理矢理書かせた去り状1を、奪って戻ってきたお園に対応する丁稚の伊吾と、それ見て伊吾を奥に引っ込ませる義平の姿を描く。
 義平によって実家に帰されていたお園だったが、夫や息子に会いたい一心で、父である了竹から義平が書いた去り状を盗んで、家を訪ねてきた。義平は「子どものためを想うなら、病人のふりをして実家でおとなしくしておくようにと言ったのに、なぜ訪ねてきたのか」と、お園に冷たくあたる。「こうなることはかねてから定まっていた運命なのだ」とお園が持ってきた去り状も突き返すのであった。
 義平の男気に富んだ性格を平常からよく知っているお園は余計に悲しく思う。ならば、せめて子どもに会いたいと言うお園に、子どもを想うなら、中途半端に今会うべきではない、とかたくなに断り、締め出してしまう。お園は前後も分かたず泣きじゃくるのだった。
 母のいない間の子の様子を、その子を舞台に出さずに夫婦の会話だけで眼前に浮び上らせ、突き放す義平の妻への愛情や子どもを想う親としての気持ちを切々と訴える。単に義侠心を持つ男というだけでなく、家族を持つ夫や父親としての義平の思いを感じ取ることができる。(A.Ya)

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