2.4.3 「天河屋義平は男でござる」 ―2 

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「大星由良之助 市川団蔵」「天川屋儀平 沢村訥升」「儀平女房おその 岩井半四郎」

国貞〈1〉 大判/錦絵3枚続 役者絵
上演:天保4年(1833)8月 江戸・市村座
「仮名手本忠臣蔵」
立命館ARC所蔵 arcUP1142-1144
【前後期展示】
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■解説
 由良之助に見込まれた堺の廻船問屋・天河屋義平は、妻を実家へ戻し、奉公人は、口実を設けて暇を出し、一人で義士一同の武具服装を調達して秘かに鎌倉表へ廻漕していた。由良之助は同士の疑念を晴らすため、捕手に扮装させて店に踏み込ませ、義平を捕らえようとする。由良之助たちのために送った荷を入れた長持を持ち出し詰問されるが、自分には身に覚えのないことだと義平は口を割らない。ついには義平の子、由松を人質に詰め寄るが顔色も変えず「天河屋義平は男でござる」と啖呵をきる。なんと長持の中から現れたのは、由良之助であった。義平の丈夫も及ばぬ鉄石心に一同驚嘆し、夜討ちの合言葉として、「天」と呼べば「河」と答えるよう定め、由良之助たちは天河屋を出立しようとする。
 その時一人の女が戸口に立っているのに気付くと、義平の女房のお園であった。わが子、由松の様子を案じているが、義平はお園の親の了竹が斧九太夫に繋がる悪人なので、お園とはいったん縁を切る心であった。だがお園は了竹から離縁状を盗みこっそり抜け出して、了竹とは親子の縁を切るつもりだという。義平も、由松のことを思うと不憫ではあったが、それでも了竹に渡したはずの離縁状を内緒で手にしては、筋が通らないから持って帰れと離縁状を返し、戸口もしっかりと閉めてしまった。ひとり表に残されたお園は、その場で嘆き伏す。やがて、「もう親了竹のもとにも戻れない、自害して果てよう」とするが、由良之助の計らいでお園の髷を切り、尼であれば、同じ屋根の下に暮らしていても夫婦とはいえないから、これで了竹に対しては申し訳が立つだろう。髪はいずれ伸び、櫛笄が髪に挿せるようになったら改めて夫婦として縁を結べばよいと告げ、義平への返礼を残して敵討ちと向かうのであった。(A.Ka)

  なお、本作は、天保4年(1833)8月市村座上演時の作品の板木を改刻し、再利用したもので、義平とお園の顔をすげ替えている。