2.2.0 与一兵衛一家

  塩冶家の家臣であった勘平は、主君の一大事に腰元のおかると逢引していたがために駆けつけることができなかった。自らの不甲斐なさに切腹して果てようとするものの、お軽が自分の故郷である山崎の里へ駆け落ちようと提案する。勘平はその言葉に随い、お軽の実家に身を寄せる。そして、この塩冶浪人は、農家の一家である寺岡家を崩壊させていくのである。
 「仮名手本忠臣蔵」では結果的に舅の敵討ちをした勘平であったが、自らの早とちりで命を落とす。一方、身分は低いが、足軽として武士に取立ててもらっていたお軽の兄平右衛門は、妹を殺してまでも判官の敵討ちに参加させてもらおうとする。寺岡一家を巻き込んだ悲劇は、二人の息子たちが、その功績が認められ連判状に名を連ねることで終わりを告げるのである。(a)