6月は梅雨の季節で雨の日が多くなりますが、雨粒に紫陽花が映える植物の美しい時期でもあります。
初夏に花をつける植物として、橘があります。橘はミカン科の常緑低木で、日本で唯一の野生のミカンです。また、家紋や文様として用いられ、さまざまな美術工芸品に登場します(「橘貝桶模様小袖」文化遺産オンライン)。そして、図1の型紙のように葉に加えて、実もデザイン化される珍しい文様です。
橘の歴史を紐解いてみると『日本書紀』に、常世からもたらされたものとしてすでに登場しています。加えて、常緑であることから、永遠の繁栄や長寿の象徴とされ、縁起の良いモチーフとして用いられています。吉祥文様はほかにも数多くありますが、多くが中国に由来するため、橘は数少ない日本生まれの吉祥文様ともいえます。では、橘文様が登場する型紙をいくつか紹介してみたいと思います。
![]() 図1「橘」 | ![]() |
図1の型紙は、錐彫と呼ばれる小孔を彫り抜く技法により彫刻されています。小孔一つ一つによって橘の葉と実の輪郭を表現し、離れて見ると繋がっているようにも見えます。また、橘の周囲を大きさの異なる二種類の錐を使って彫刻し、小孔を密集させることによって、橘をより際立たせているようにも見える型紙です。
![]() 図2「橘に熨斗」 | ![]() |
図2は、橘と熨斗を配した型紙です。熨斗とは「熨斗鮑」の略で、鮑の肉を薄くはぎ、引きのばして乾かしたものを指します。儀式の肴や進物などに添えて贈られたもので、橘と熨斗は吉祥の取り合わせといえるでしょう。図2は、突彫と呼ばれる、鋭く尖った小刀(幅約3mm、厚さ1mm程度)を上下に動かしながら彫刻する方法によるものです。型紙の橘を見てみると、輪郭線が途中で途切れていることに気付きます。これは、すべて輪郭線を繋げてしまってはモチーフが紙から切り取られてしまうためで、細心の注意を払いながら彫刻していたのでしょう。
![]() 図3「桧扇に橘」 | ![]() |
図3は橘と桧扇を取り合わせた型紙です。扇は、あおいで涼をとるだけではなく、悪気やけがれを払うための祭事用、祝儀用に用いられました。また、形状から末広とも呼ばれ、縁起のよいものとされました。とくに、図3のような形状のものは桧扇と呼ばれ、衣冠あるいは直衣の時に笏(しゃく)のかわりに持つものとされました。衣冠や直衣は平安時代から着用された装束で、高貴な人が着用しました。そのため、図3の桧扇は、吉祥文様に加え、雅なイメージを托しデザインと考えられます。
彫刻された部分に着目してみると、桧扇は二種類に彫り分けられていることがわかります。つまり、桧扇の輪郭線を彫刻したものと、輪郭線を残し、内側を彫刻したものです。同じモチーフではありますが、二種類の桧扇を彫刻しておくことにより、染め上がりが二種類生まれ、メリハリのついたデザインになっているのではないでしょうか。
こうした工夫から、デザインとしてのバランスや染め上がりまで想像して型紙が彫刻されていた様子が伝わります。同じモチーフであっても、彫刻する部分を工夫することで大きく印象が変わりますね。
参考文献
藤井健三・佐藤道子『織の四季 京の365日』2005年
並木誠士監修『すぐわかる日本の伝統文様』2006年
弓岡勝美編・藤井健三監修『帯と文様』2008年
文化遺産データベース