歌舞伎に関連する型紙の多くは役者の家紋を採り入れています。図1は歌舞伎役者の家紋を組み合わせたもので、「三升」「三つ銀杏」「結綿」紋が錐彫によって彫刻されています。それぞれ家紋の輪郭は線上に等間隔で彫刻されていますが、家紋の内側は輪郭線よりも少し間隔を空けて彫刻されているため、輪郭が際立ちます。
三升紋は市川団十郎家の定紋、三つ銀杏は松本幸四郎家の替紋、結綿は瀬川菊之丞家の定紋です。それぞれ何代も続く名跡ですが、三名の名乗り時期が重なるのは江戸時代に2度ほどです。市川団十郎、松本幸四郎、瀬川菊之丞の三名が揃った時期に制作された型紙であるのかなど興味は尽きません。明確な制作時期やどのような意図で三者の家紋が選択されたのかは不明ですが、歌舞伎の人気を伝えてくれる型紙です。
図2は先ほどの三升紋を上下左右に繋げた「六弥太格子」の型紙で、岡部六弥太の衣裳に使用される文様をいいます。図2の型紙は突彫で、文様が崩れてしまわないように、二枚にはがされた型紙の間に生糸を入れて補強しています。
六弥太格子は役者絵に確認できますが、とりわけ八代目市川団十郎(文政6年〔1823〕-安政元年〔1854〕)が嘉永2年(1849)「一谷武者画土産」の芝居で岡部六弥太を演じたときの衣裳に使ったことをきっかけに流行したと言われています。図3のように上演当時の役者絵にも六弥太格子を確認することもできます。八代目団十郎は、技芸とその美貌から幕末に大変な人気を誇った役者でした。
そして、このような型紙が残っているということは、舞台上の衣裳のみならず一般にも広まっていたことを示しています。型紙がいつ頃制作されたのか判断することは難しいのですが、人気役者の影響を受けて制作された型紙といえるのではないでしょうか。