3.2.11 忠臣蔵の「柱絵」

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「忠臣蔵 七段目(やつし絵)」

湖竜斎 柱絵/錦絵 
安永頃(1772~1778)
赤穂市歴史博物館所蔵
【パネル展示】.

■ 解説
 本作は、遊郭の一風景を七段目一力茶屋の場面にやつして描いている。
 手紙を読む由良之助を
遊女に、二階から手紙を読むお軽を、毛抜で身だしなみを整えつつ手鏡で下を覗く若い男に当てている。縁の下の九太夫はここでは奴で描いている。本来九太夫は下に垂れている手紙を覗き込もうとするが、男は遊女の裾の中に関心を示している。元ネタから、より日常生活に近い状態にずらし、ユーモアを加えた作品である。

 七段目一力茶屋の場の、由良之助の手紙を上下からお軽と九太夫が覗き込む場面は、柱絵の画題としてもよく用いられた。
 この極端に縦長の判型で制作された浮世絵を柱絵という。簡易な表装をして柱に掛けて用い、「柱掛」あるいは「柱隠」の別称がある。錦絵時代が始まって間もない明和年間(1764~72)から天明年間(1781~89)が柱絵の最盛期であり、本作の絵師である磯田湖龍斎(1735~?)や、鈴木春信、鳥居清長らが活躍した。とりわけ湖龍斎は、浮世絵師随一の量の柱絵を制作したことでも知られ、柱絵の特性を生かし、主題や構成ともに変化に富んだ内容の作品を多く残した。 保管のしにくい判型であることと、実際に柱に掛けて鑑賞されたため、状態が良好のまま伝えられることが難しく、実際には多数制作されたものながら、現在は希少性の高い作品が多い。(Y.I.a)

参考
『浮世絵大事典』 田辺昌子 p24,394