4.2.0 伊賀越の敵討

 伊賀越の敵討ちは1634年に起きた敵討ちのことである。岡山藩士の渡辺数馬が義兄の荒木又右衛門とともに弟の源太夫の敵である河合又五郎を討ち取った一連の出来事である。安永5年(1776)8月に、江戸で人形浄瑠璃「志賀の敵討」の中で脚色されたのが早く、同じ年、12月には大坂で「伊賀越乗掛合羽」という歌舞伎脚本になり、その後、浄瑠璃「伊賀越道中双六」に脚色されるようになり、よく知られる敵討ちの一つとなった。

 物語の内容は単純明快であり、人気の演目の一つであった。歌舞伎などで演じられる際は、渡辺数馬は和田静馬あるいは志津馬、河合股五郎は沢井股五郎あるいは又五郎に、荒木又右衛門は唐木政右衛門にと名前が変更されている。(Y,S)