1791-1859。5代目団十郎の孫。俳名三升、白猿、夜雨庵など。屋号は代々成田屋。寛政10年(1798)からゑび蔵を名乗り、寛政12年、10歳のとき団十郎を襲名。文化・文政期から安政にかけて活躍した。小柄ながら目が大きく口跡にすぐれ、荒事・実事・実悪・和事・色悪など幅広い役柄をこなし、生世話や所作事もよくした。天保3年(1832)に長男に8代目団十郎を継がせ、自らは前名の海老蔵(5代目)と改めた。この時、初世以来の荒事の当たり役を調べて『歌舞伎十八番』を選定した。天保13年の改革の際、江戸追放となり、嘉永2年(1849)に許されるまで上方の芝居に出るなどした。