1784-1849。江戸・小伝馬町の建具師の子。初名尾上新三郎。前名初代尾上栄三郎、2代目尾上松助、3代目尾上梅幸。後名初代大川橋蔵。屋号は代々音羽屋。初代尾上松助の養子となり、天明8年(1788)11月初舞台。文化12年(1815)11月3代目菊五郎を襲名。写実的な芸ときめ細かな舞台演出に定評があり、『菅原』の桜丸、『忠臣蔵』の勘平、『千本桜』の権太、『四谷怪談』のお岩など、立役や怪談狂言を得意とした。実力と人気を兼ね備えたが、弘化4年(1847)引退して餅屋を営んだ。翌嘉永元年(1848)大川橋蔵と名乗って再び舞台に立ち、上京の帰途、嘉永2年閏4月掛川で客死した。