1838-1903。7代目団十郎の5男で、8代目団十郎の弟。俳名三升、団洲、寿海など。生後すぐ6代目河原崎権之助の養子となり3代目河原崎長十郎を襲名。嘉永5年(1852)初代河原崎権十郎と改名し、明治2年(1869)には7代目河原崎権之助を襲名した。明治7年、市川宗家に戻り9代目団十郎を襲名した。容姿・口跡にすぐれ、立役・女方・敵役いずれにも秀で、時代・世話・所作事の何を演じても卓越した技芸を示し、「劇聖」と仰がれた。5代目尾上菊五郎・初代市川左団次とともに「団菊左」と呼ばれる明治歌舞伎の黄金時代を築いた。演劇改良運動にも注力し、「活歴」という史劇を創始し、また、登場人物の性格・心理を研究して「肚芸」という演技術を開拓した。