1886-1954。2代目阪東寿三郎の子として大阪に生まれる。俳名菊翠。屋号豊田屋。明治24年(1891)阪東長次郎と名乗って初舞台。大正元年(1912)11月3代目阪東寿三郎を襲名。上京して2代目市川左団次一座に加わった後帰阪し、初代中村鴈治郎や2代目実川延若の一座で活躍した。大正11年研究会「第一劇場」を主宰した。戦後は3代目市川寿海とともに関西歌舞伎を支えた。和実の役や立役に本領を発揮し、時代物を得意としたが、『大石最後の一日』の大石内蔵助などの新歌舞伎で高評価を得た。
1886-1954。2代目阪東寿三郎の子として大阪に生まれる。俳名菊翠。屋号豊田屋。明治24年(1891)阪東長次郎と名乗って初舞台。大正元年(1912)11月3代目阪東寿三郎を襲名。上京して2代目市川左団次一座に加わった後帰阪し、初代中村鴈治郎や2代目実川延若の一座で活躍した。大正11年研究会「第一劇場」を主宰した。戦後は3代目市川寿海とともに関西歌舞伎を支えた。和実の役や立役に本領を発揮し、時代物を得意としたが、『大石最後の一日』の大石内蔵助などの新歌舞伎で高評価を得た。