1788-1845。4代目市川団蔵養子。初名市川森之助。前名市川団次郎、4代目市川団三郎、市川市紅。俳名千升・紅山・市紅。屋号は三河屋。はじめ初代市川市蔵の門下で、後に4代目団蔵の養子となり、寛政7年(1795)4代目団三郎を襲名。文化12年(1815)市川市紅と改名。文政2年(1819)大坂で4代目団蔵を襲名。小柄であったが、時代物に適し、和事・武道・実事・所作事と幅広く演じた。上方を中心に江戸の舞台にも立ち、質実な芸風から「渋団」と呼ばれた。
1788-1845。4代目市川団蔵養子。初名市川森之助。前名市川団次郎、4代目市川団三郎、市川市紅。俳名千升・紅山・市紅。屋号は三河屋。はじめ初代市川市蔵の門下で、後に4代目団蔵の養子となり、寛政7年(1795)4代目団三郎を襲名。文化12年(1815)市川市紅と改名。文政2年(1819)大坂で4代目団蔵を襲名。小柄であったが、時代物に適し、和事・武道・実事・所作事と幅広く演じた。上方を中心に江戸の舞台にも立ち、質実な芸風から「渋団」と呼ばれた。