1736-90。初名中村市十郎。前名中村中蔵。別名6代目中山小十郎、8代目志賀山万作。俳名秀鶴。屋号栄屋。長唄の5代目中山小十郎・舞踊師志賀山お俊夫婦の養子。2代目中村伝九郎(当時勝十郎)に入門し、市十郎、のち中蔵と改名。若衆方・立役に進み、宝暦11年(1761)仲蔵と改名。色悪に転じ、明和3年(1766)市村座『忠臣蔵』五段目の定九郎役に工夫をこらして大当り、出世芸となった。このときの苦心談は落語などに取り入れられている。以来、実悪の諸役を多く勤めた。舞踊も名人といわれ、天明5年(1785)~6年中山小十郎と改名して志賀山流の舞踊を披露するなどしている。初代仲蔵は、安永5年(1776)5月中村座と天明7年(1787)4月大坂・中村粂太郎座の2度由良之助役を演じている。