1777-1827。初名初代市川市蔵。後名初代市川鰕十郎。俳名市鶴・新升。屋号播磨屋。4代目市川団蔵の門人。文化12年(1815)同じ上方の3代目中村歌右衛門の紹介で7代目市川団十郎の門人となり、初代市川鰕十郎と改名。口跡にすぐれ、立回り・早替りといったケレン芸を得意とし、三都の舞台で活躍した。特に『忠臣蔵』の7役早替りは文化8年4月森田座と文化14年大坂・嵐卯之助座の2度勤めている。
1777-1827。初名初代市川市蔵。後名初代市川鰕十郎。俳名市鶴・新升。屋号播磨屋。4代目市川団蔵の門人。文化12年(1815)同じ上方の3代目中村歌右衛門の紹介で7代目市川団十郎の門人となり、初代市川鰕十郎と改名。口跡にすぐれ、立回り・早替りといったケレン芸を得意とし、三都の舞台で活躍した。特に『忠臣蔵』の7役早替りは文化8年4月森田座と文化14年大坂・嵐卯之助座の2度勤めている。