E1. 初代 歌川広重

 歌川広重は、寛政9年(1797)に江戸八代洲河岸の定火消同心安藤源右衛門の子として生まれた。幼名は徳太郎。一幽斎・一立斎とも号す。

 文化6年(1809)、父の死去により、わずか13歳で家督と家職を相続した。火消の活動に従事するかたわら、文化8年ごろに歌川豊広の門下に入り、浮世絵を描くようになる。当初は役者絵・武者絵・美人画を描いたが、天保2年(1831)ごろ風景画に開眼。天保4年に保永堂版「東海道五拾三次之内」シリーズを刊行して、名所絵の分野で一躍人気絵師となった。抒情的に自然を描き郷愁を覚えさせる作風は、葛飾北斎と対極をなす。また花鳥動植物画にも優れた作品を残した。

 安政5年(1858)9月、「東路に筆を残して旅の空 西の御国の名ところを見む」の辞世を残して死去。享年62。

(立命館ARC所蔵)