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2011年1月 5日

インドネシア・韓国・日本 共同セミナー

 インドネシア大学にて下記のシンポジウムを開催いたしました。
 
【概要】
「インドネシア・韓国・日本 共同セミナー
―〈外地〉日本語文学の諸相―」
 
■日時:2011年1月5日(水)10:00-18:00
■会場:インドネシア大学文学部
 ■スケジュール
[5日]
10:00 開会の挨拶 バンバン・ウィバワルタ/崔官/木村一信
〈研究発表〉
10:30-12:00
日本文学の中のバリ島 土屋忍/コメンテーター 木村一信
韓国人作家の脱植民地の想像力 洪潤杓/コメンテーター 崔官
司会 神谷忠孝
13:30-14:30
日本のインドネシア占領期における宣伝文学 トミー・クリストミー/コメンテーター バンバン・ウィバワルタ
戦時回想としての「高原にて」の秀抜 竹松良明/コメンテーター 奥出健
司会 西成彦
15:00-15:45
1940年代韓国文学における南洋表象 鄭炳浩/コメンテーター 池内輝雄
15:45 閉会の挨拶 鄭炳浩
 [6日]
ジャカルタにおける日本語文学関連史跡探訪
 
■主催:インドネシア大学文学・高麗大学校日本研究センター・本拠点木村一信研究室
■後援:国際交流基金(ジャカルタ事務所)
 
 

 

2010年10月22日

「文学・文化に見る韓国併合と「朝鮮」への眼差し」

立命館創始140年・学園創立110周年記念[若手研究者企画]アート・リサーチセンター連続講演会の一環として、下記の内容でパネル展示・ワークショップを行いました。

 20101128_kankoku_A4.jpgbtn_dl.jpg
(pdf.jpg PDF:1.1MB)

 

【概要】
「文学・文化に見る韓国併合と「朝鮮」への眼差し
―せめぎ合うイメージ、植民地帝国言説の両義性―」
 
■日時:2010年11月28日(日)13:00-17:30
※パネル展示 2010年11月21日(日)-28日(日)9:30~16:30(入館は16:00まで)
  
■会場:立命館大学国際平和ミュージアム会議室
※パネル展示 立命館大学国際平和ミュージアム2階ロビー
 
■シンポジウム・スケジュール
開会の挨拶 木村一信(プール学院大学)
〈研究発表〉(13:00-14:30)
「植民地経験の記録 ―国際平和ミュージアム所蔵絵葉書と紀行文を中心に―」
楠井清文(立命館大学非常勤講師・本拠点客員研究員)
「風刺の帝国:韓国併合を視覚化した『大阪パック』併韓記念号の両義性」
アンドレ・ヘイグ(スタンフォード大学)
〈講演〉(14:45-15:45)
「韓国併合期の朝鮮表象 ―物語の拡がり/表現の軋み」
中根隆行(愛媛大学)
「在朝日本人の朝鮮認識、自己認識」
水野直樹(京都大学)
〈ディスカッション〉(17:00-17:30)
ディスカッサント 西成彦(立命館大学)
閉会の挨拶 木村一信
 
■主催:文部科学省グローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」
(立命館大学)
■企画:日本文化研究班・木村一信研究室
■共催:立命館大学コリア研究センター・立命館大学国際言語文化研究所
■協力:立命館大学国際平和ミュージアム
 
■問い合わせ先
立命館大学アート・リサーチセンター
電話番号: 075-466-3411(代表番号)担当:楠井
 
開催趣旨は続きをご覧下さい。
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2009年3月14日

シンポジウム「海外における日本文学の時空間」

下記の内容でシンポジウムを開催しました。
討議の充実した内容となりました。本会の記録は、2009年度に報告書として作成予定です。
 
【日程】 2009年3月14日(土)13:00-17:00
【場所】 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
 
【テーマ】 海外における日本文学の時空間(クロノトポス)―比較文化研究とデジタル・ヒューマニティーズ―

【パネリスト】
真銅 正宏 (同志社大学)
西原 大輔 (広島大学)
須藤 直人 (立命館大学)

【司会・コメンテーター】
木村 一信 (立命館大学)

【主催】 文部科学省グローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点」(立命館大学)
【企画】 日本文化研究班・木村研究室

*終了後、18:00より「とさや」にて懇親会。

チラシ[PDF]

開催趣旨は、「続き」をご覧ください。

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2009年3月14日

シンポジウム内容①

○イタリア「観光」の性格とホテル
  ――イタリア旅行関係記事のPDFファイル化を通じて――
真銅正宏(同志社大学)
 
 日本の近代において、視察や留学、および旅行のためにヨーロッパに渡った日本人たちは多い。しかしそのほとんどが、ロンドンやパリ、ベルリンなど、一国およびヨーロッパ全体を代表する都市に、明確な目的意識をもって訪れているのに対し、イタリアについては、やや違う訪れ方を見せる。端的にいえば所謂「観光」という態度が目立つのである。この、やや特異な西洋訪問記としてのイタリア旅行記を対象に、日本人たちがおそらく初めて体験したであろう「観光」という営為について、考察したい。
 イタリアは、ローマという古都でありかつキリスト教の一つの中心地を持つ一方で、かつての都市国家の面影を受け継ぎ、ミラノやフィレンツェ、ヴェネチア、ナポリなど、それぞれ個性に富み、旅行者に多彩な印象をもたらす都市をいくつも持っている。日本人旅行者たちは、ローマにだけ向かうのではなく、これら諸都市を常に歴訪する。これは、パリやベルリン、ロンドンへの訪れ方とは対照的であろう。本発表においては、特に、イタリアの代表的な観光地の記事と、当時の写真などの資料とをつきあわせる作業と、日本人旅行者が宿泊したホテルの描写に焦点を当てることにより、その歴訪というスタイルに特徴的なイタリア「観光」の性格を明らかにすることを目指す。
 この考察の基礎作業として、西洋渡航の始まった幕末期から第二次世界大戦が終わった一九四五年までの間に刊行された書籍および雑誌のうち、日本人旅行者のイタリア旅行関係の記事を集成し、これをデータベース化する作業を、現在、進めている。さらに、これら記事をPDF(Portable Document Format)ファイル化することにより、検索の利便性および記事間および他の媒体による資料との連結をも図ることも試みている。これらの基礎作業についても中間報告したい。

2009年3月14日

シンポジウム内容②

○日本の文学・美術に描かれたシンガポール
西原大輔(広島大学)
 
 幕末の1862(文久2)年、遣欧使節団の一員としてシンガポールに寄港した福沢諭吉は、突然一人の裕福な日本人貿易商の出迎えを受け、非常に驚いている。オットソン(日本名音吉)というこの元漂流民こそ、日本人初のシンガポール居住者であった。
 それ以来、多くの日本人が洋行の途中でシンガポールに立ち寄り、様々な文章や絵を残してきた。具体例として、森鴎外・夏目漱石・永井荷風といった文学者や、久保田米僊・今村紫紅・横山大観ら美術家の名前を挙げることができる。また大東亜戦争中には、徴用された文化人が続々と南方を訪れた。井伏鱒二は、第25軍の後に随ってマレー半島を自転車で縦断し、シンガポールで英字新聞の編集長になっている。藤田嗣治をはじめとする従軍派遣画家も、この海峡都市に滞在し、帰国後戦争画を発表した。宮本三郎の《山下・パーシバル両司令会見図》は、現在もシンガポールで歴史教材として使われている。映画監督小津安二郎は、国策映画撮影のためこの島に派遣され、終戦後まで住み続けた。
 従来、日本シンガポール関係史の研究対象は、娘子軍をはじめとする日本人居留民や、その中核であった日本人学校、あるいは第二次世界大戦史などが中心だった。私はむしろ、旅行者訪問者としてこの地を訪れた日本の文化人の記録に着目し、季刊誌『シンガポール』(日本シンガポール協会)に、「日本人のシンガポール体験」と題する文章を40回近く連載してきた。本発表はこの成果に基づきつつ、幕末から戦後に到るまでの日本人が、いかにシンガポールを描き、どのような視点で見て来たのかについて述べてみたい。
 近代日本の文学や美術は、ひとり日本のみならず、広く世界を描き、世界を語って来た。国民一人あたりGDPアジア一位の座を、日本がシンガポールに譲り渡した現在、近現代の日本人がシンガポールに見てきたもの、見てこなかったものを分析することは、今後の日本の行く末を考える上でも、意味のあることと思われる。

2009年3月14日

シンポジウム内容③

○太平洋諸島の「脱植民地化」と日本文化
須藤直人(立命館大学)
 
 太平洋諸島の文化と日本文化の相互的な影響関係やイメージの往還を、「脱植民地化」という文脈において考えたい。
パラオのアバイ(集会所)は、自然や社会との結びつきを象徴する建築物であり、世界との関係を取り結ぶ場所である。だが植民地支配と観光はアバイを「卑猥」「幼稚」な「エキゾティック」な建物に変えた。ドイツや日本の統治下にあった当時から、その側壁に描かれた物語絵が「観光のまなざし」の的となるが、アバイにおいて男性が他村から送られる女性(モゴル)と出会う制度が公娼制度と解され、アバイに宿泊することは「野蛮」な風習と見られた。彫刻家であり民族学者である土方久功の影響により、アバイの物語絵がストーリー・ボードとして旅行者向けの土産物となると、パラオにとってのアバイの意味が再び変わってゆく。他方、パラオにおいて土方と親交があった中島敦の短編にはアバイの絵物語を題材としたものが見られる。そこでアバイは、植民地支配・資本主義システムに服しながら同化されない単独性の表象という意味を与えられている。
タトゥ(刺青)も自然や社会との関係性を構築するための「衣装」であったが、同様に「野蛮」な風習と見なされると、もはやそれは「衣装」ではなくなった。サモアの作家アルバート・ウェントは、タトゥを「衣装」と見るサモア社会の見方を、日本語の「和」という言葉を用いて説明している。「裸」にされた身体に再び「衣装」を着せること、すなわち、植民地支配の影響を受け、資本主義システムに包摂されながらも、単独性を保持した関係性や主体を再構築することが脱植民地化であり、日本を訪れたウェントはそのようなサモアと共通の単独性を日本に見出している。こうした単独性を相互に結びつける場として「オセアニア」を捉える太平洋作家達に呼応する様に、ミクロネシアを訪れた池澤夏樹の小説テクストは、ストーリー・ボードと並びパラオを世界と結び付ける、18世紀に初めてイギリスを訪れたパラオ人リー・ボーの「高貴な未開人」のイメージを書き換えている。

2008年2月25日

シンポジウム報告

2月17日に開催されたシンポジウムは、30名以上が参加する盛会となりました。
各パネル発表後の質疑応答・共同討議でも活発な議論が交わされました。
本シンポジウムの記録は、2008年度に紙上再現の形で報告書にまとめる予定です。

2008年2月17日

シンポジウム概要

シンポジウムの概要が以下のように決定しました。
シンポジウム・チラシ
 日韓共同シンポジウム
デジタル・ヒューマニティーズの可能性
――日本近代文学・文化研究の立場から――
 
 現代のグローバル化の進行は、従来の人文科学諸分野にも変容をもたらした。海外では日本文化や日本文学に関する研究が活発になる一方で、日本国内でそれらの動向と連携する態勢が十分に整えられているとはいえない。今後、国際的な共同研究を展開するために、どのような研究基盤を創り上げる必要があるだろうか。
 その一つとして有効なのが、デジタル技術による双方向的な情報の発信である。Web環境の充実により、資料の共有や研究業績の公開が容易になった。日本近代文学研究の分野でも、文献データベースの整備や本文の電子テクスト・デジタルアーカイブ化によって、国内外を問わず研究可能な制度が整いつつある。しかし同時に、様々な形態でのテクストの流通は、文学研究の対象とは何か、という根元的な問題もまた喚起する。
 そこで本シンポジウムでは、日本近代文学研究の進展している韓国の代表的研究者を招き、日本の研究者も交えて、国際的な共同研究のあり方とグローバル時代における文学研究の意義、そこでデジタル化の果たす役割について討議したい。具体的には①韓国での日本研究の現状と蓄積、②そこでの研究成果の活用方法、③日韓の研究の共有化、の三点についてパネル発表・ディスカッションを行う
 
日時:2008年2月17日(日)13:00~17:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 末川会館第2会議室
主催:立命館大学GCOE日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点 日本文化研究班
協賛:立命館大学コリア研究センター
スケジュール:
開会の挨拶
 Ⅰパネル発表 韓国における日本近代文学研究
13001340   「韓国の日本近代文学研究の状況」
パネリスト 崔 在喆(韓国外国語大学校教授、前韓国日本近代文学会会長)
13401420   「三島由紀夫の文学におけるナショナリズムの再評価」
パネリスト 許 昊(水原大学校教授、韓国日本近代文学会会長)
14201440   コメント    平野芳信(山口大学教授)
14401500   休憩
 Ⅱ 日韓共同研究の展開
15001540   「日韓共同データベース構築の必要性
                                  ――中西伊之助研究の視点から――」
パネリスト 勝村 誠(本学教授)
15401600   コメント    竹松良明(大阪学院短期大学教授)
 Ⅲ 共同討議
16001700   司   会    木村一信(本学教授)
閉会の辞
18002000    懇親会

この日韓シンポジウムは考古学分野と同日開催されます。考古学のシンポジウムはアカデメイア立命21・K201会議室です。
シンポジウム終了後、18:00より末川会館地階レストラン・カルムで合同懇親会を予定しております。

2008年2月17日

シンポジウム発表内容①

崔先生のパネル発表概要です。

韓国の日本近代文学研究の状況
韓国外国語大学校 崔 在喆 (Choi Jae-Chul)  
 韓国における日本文学研究の動向と展望について調べてみた。韓国の日本文学研究関連の学会は韓国日語日文学会(1978年創立)、韓国日本学会(1973年創立)を含め10余りあり、大学付設の日本研究所も10余ヶ所あって、これらの学術誌に発表される論文は今や年間数百編に上っている。
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2008年2月17日

シンポジウム発表内容②

許先生の発表概要です。

三島由紀夫の文学におけるナショナリズムの再評価
水原大学  許 昊(Huh,Ho)
 三島が本格的に政治問題や思想に関心を見せるようになったのは「林房雄論」(昭38.2「新潮」)を書いてからである。三島はこの評論の中で、不安と動揺の時代を生きた一人の知識人の思想と心情に密着しつつ、自分の右翼的な立場を明らかにした。
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