◆5.1京都の歌舞伎目次

明治の狂言作者 佐橋富三郎

明治になり佐橋富三郎がいくつかの新作をてがけている。とくに、明治五年に「西国立志編」から脚色した「其粉色陶器交易」と「補童教学」は、散切物でもあり、西洋種の翻案劇としてよく知られている。
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京都の劇場

    • お国歌舞伎の舞台
    • 女歌舞伎の舞台
    • 元禄期の劇場
    • 宝暦・明和頃の劇場
    • 寛政6年に四條は二座へ
    • 天保以降の劇場
    • 明治26年に北側芝居廃絶

京都の歌舞伎史 参考図書

京都の歌舞伎史については、あまり詳しい研究がありません。唯一、堂本寒星が数冊の本を刊行しているだけです。
⇒堂本寒星の著作一覧

寛政以降の京都歌舞伎

寛政6年の京都の大火で焼けた四條劇場街では、南側西の芝居が、建て直されることなく、廃絶した。その後、京都は、関西において歌舞伎興行の中心地ではなくなり、大阪を中心とする歌舞伎興行圏の中に組み込まれていった。それでも、四条通りには南北に大芝居が差向いに並んでおり、京都の劇場街としての地位を保っていた。

明治の京都歌舞伎

明治に入ると、さらに四条の興行は衰えてしまいますが、むしろ新京極にいくつかの劇場ができ、そこから松竹が台頭していきます。

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