明治の狂言作者 佐橋富三郎
明治になり佐橋富三郎がいくつかの新作をてがけている。とくに、明治五年に「西国立志編」から脚色した「其粉色陶器交易」と「鞋補童教学」は、散切物でもあり、西洋種の翻案劇としてよく知られている。
佐橋の関係の著者物は⇒画像でも読むことができる
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明治になり佐橋富三郎がいくつかの新作をてがけている。とくに、明治五年に「西国立志編」から脚色した「其粉色陶器交易」と「鞋補童教学」は、散切物でもあり、西洋種の翻案劇としてよく知られている。
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京都の歌舞伎史については、あまり詳しい研究がありません。唯一、堂本寒星が数冊の本を刊行しているだけです。
⇒堂本寒星の著作一覧
寛政6年の京都の大火で焼けた四條劇場街では、南側西の芝居が、建て直されることなく、廃絶した。その後、京都は、関西において歌舞伎興行の中心地ではなくなり、大阪を中心とする歌舞伎興行圏の中に組み込まれていった。それでも、四条通りには南北に大芝居が差向いに並んでおり、京都の劇場街としての地位を保っていた。
明治に入ると、さらに四条の興行は衰えてしまいますが、むしろ新京極にいくつかの劇場ができ、そこから松竹が台頭していきます。