2006年06月21日

●昭和18年の「勧進帳」の記録

太平洋戦争の最中、昭和18年の国内では、いよいよ歌舞伎の舞台などを悠長に鑑賞している状況ではなくなっていきますが、11月に「勧進帳」が東京歌舞伎座の舞台で出されます。これは12月まで続演され、その24日に舞台の実況を記録した舞台映画が残っています。
配役は、
 弁慶 7代目 松本幸四郎
 富樫 15代目 市村羽左衛門
 義経 6代目 尾上菊五郎
という、当時はもちろん最高、その後、未来にあっても、これほどの夢のような組み合わせは望むべくもないのではないかと思われます。

2006年06月19日

●歌舞伎における「見立て」と趣向

歌舞伎には、いろいろな要素がありますが、作品を創作には、その発生段階から風流の精神が色濃く反映していると言わなければなりません。 初期のころの狂言は、書留られた台本を使わず、「口立て」と呼ばれる中心となる役者によって口頭で伝達して台詞や段取りを作っていく方式をとっていました。 よく引用される「戯財録」では、世界と趣向を竪糸と横糸に喩えています。筋を作っていくことを筋を立てるといい、その日のプログラムを狂言立てというと同時に、江戸の芝居では、一番目、二番目という狂言立の公演の内、一番目の内訳は、3立目・・・5立目(建目)と幕名を呼ぶのが常識になっており、芝居は、組み「立て」ていくものといいう意識でできあがっていました。趣向を組立てて、芝居になっていくのです。この組立てるべき新しい趣向は、その都度「見立て」られるものであり、けっして全く新しいアイデアから作られるというものではありませんでした。  歌舞伎がつぎつぎと新作をつくり、安定した人気を誇っていた創造の秘密は、まさしく「風流」の精神からきているところの、「見立て」の力によるものと言っても過言ではありません。

見立ては、さまざまな芸術分野やでとりあげられていますが、浮世絵の世界で「見立て」は注目されており、近年になってたくさんの論文が出て。

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2006年06月01日

●忠臣蔵は大人気

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