●仮名手本忠臣蔵 七段目
寛延1年(1748)8月 大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演された。翌年には、江戸の3座で相次いで歌舞伎化され、日本を代表する演目となっている。
俗に「独参湯」と呼ばれ、観客の入りが悪くなると、「仮名手本忠臣蔵」が上演され、かならず客の入りを挽回できた。そのため、上演回数は群を抜き、毎年どこかの劇場で必ずこの芝居が出ている。
寛延1年(1748)8月 大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演された。翌年には、江戸の3座で相次いで歌舞伎化され、日本を代表する演目となっている。
俗に「独参湯」と呼ばれ、観客の入りが悪くなると、「仮名手本忠臣蔵」が上演され、かならず客の入りを挽回できた。そのため、上演回数は群を抜き、毎年どこかの劇場で必ずこの芝居が出ている。
能や狂言から題材を得て、歌舞伎化した作品で、能の舞台のように、背景に松が描かれ、舞台装置を能舞台のようにしているので、松羽目物とも呼ばれます。「勧進帳」はその代表的な作品で、明治・大正時代に数多く作られました。
所作事、舞踊劇などということもあります。
その他のジャンルの場合、それぞれ役者の台詞が中心となって演じられる作品ですが、この場合、台詞はほとんど言わずに、踊りだけで見せる作品群です。初期には、女方の専売特許となっていましたが、江戸の中期頃から立役も演じるようになり、1800年頃以降は、変化舞踊と称して、一人の役者が数多くの役を踊り分けるという上演の仕方が流行りました。その日一日の公演の最後に舞踊が付くのが定形となっていったのでした。