2006年07月23日

●団十郎ばゞあ

団州百話』につぎのように書いてある。

当時右の津藤氏につゞきて団十郎贔屓なりしは、せ組(二番)の鳶頭道具の代治という男なりき、この男は元地の三芝居はいつ何時にても無代価にて勝手に見物の出来るという特別の人物なりき。其次は有名なる団十郎ばゝあのおよしなり。この婆さんも代治と同じ様に自由に見物の出来る身の上にて何日でも小一の正面座で見て居るなり。この人の一つの癖は、狂言の中にても事に依ると舞台の役者と談話を初めるなり。当時は大抵の役者、いづれも此婆さんの気に入るように勤めたりき。此婆さん家は八丁堀にて亭主は秀吉とて鳶の者なりき。婆さんは女髪結にて八丁堀の旦那衆(町奉行付の与力同心の類)へ立入て大に羽振がよかりし。


2006年07月22日

●一番

開演一時間前ほどに聞えてくる太皷の音。「一番太鼓」ともいう。

劇場での興行がはじまったころ、劇場の入り口の上には城門の櫓をまねした「櫓(やぐら)」を建てていた。芝居が開くことが決ると、その早朝に櫓の上では、開演を知らせる太鼓が打たれたもので、一時、それは柳営とまぎらわしいからということで禁止されるが、その内に復活して、昭和期まで引継がれたものである。