●不破伴左衛門の衣裳
衣裳の中に雲と稲妻両方の文様を確認することができる。
不破伴左衛門の衣裳は『役者全書』には
「一、―延宝年中市村座にて「遊女論」と云狂言に、伴左衛門元祖団十郎、山三に村山四郎次、かづらきに伊藤小太夫勤む。此狂言大当りす。其年の中に、右の狂言二代目・三代目を出し、同じ役人にて又々大入す。則団十郎其名を得る。時に衣装、雲に稲妻の模様の羽織を着たり。」
とある。
また、『役者名物袖日記』には
「右雲に稲妻の紋、古団十郎不破伴左衛門の役をつとめし時(貞享元・五 中村座「不破即身雷」)羽織衣裳に付し故、何の役者にても伴左衛門をする時は是非此もやうを付る事也」
とあり、初代市川団十郎が不破伴左衛門を演じたときに雲に稲妻の模様の羽織を身につけあたりを取った。それがきっかけとなって、不破伴左衛門の衣裳には雲と稲妻文様が定形となっていったと考えられる。
不破伴左衛門の衣裳は『役者全書』には
「一、―延宝年中市村座にて「遊女論」と云狂言に、伴左衛門元祖団十郎、山三に村山四郎次、かづらきに伊藤小太夫勤む。此狂言大当りす。其年の中に、右の狂言二代目・三代目を出し、同じ役人にて又々大入す。則団十郎其名を得る。時に衣装、雲に稲妻の模様の羽織を着たり。」
とある。
また、『役者名物袖日記』には
「右雲に稲妻の紋、古団十郎不破伴左衛門の役をつとめし時(貞享元・五 中村座「不破即身雷」)羽織衣裳に付し故、何の役者にても伴左衛門をする時は是非此もやうを付る事也」
とあり、初代市川団十郎が不破伴左衛門を演じたときに雲に稲妻の模様の羽織を身につけあたりを取った。それがきっかけとなって、不破伴左衛門の衣裳には雲と稲妻文様が定形となっていったと考えられる。