◆5.1京都の歌舞伎目次

寛政以降の京都歌舞伎

寛政6年の京都の大火で焼けた四條劇場街では、南側西の芝居が、建て直されることなく、廃絶した。その後、京都は、関西において歌舞伎興行の中心地ではなくなり、大阪を中心とする歌舞伎興行圏の中に組み込まれていった。それでも、四条通りには南北に大芝居が差向いに並んでおり、京都の劇場街としての地位を保っていた。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/mt/mt-tb.cgi/28

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)