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2007年02月22日

●八百屋お七

『其往昔恋江戸染』 のあらすじ
天人に似た美女と評判の八百屋娘のお七は、吉祥寺の寺小姓吉三郎と恋仲にあるため、範頼公への妾奉公を嫌がり、逃げ出してしまう。お七は吉三郎が今宵中に剃髪出家すると聞き、気の動転したお七は夜になって閉ざされた木戸を開けてもらいたい一心で、櫓に上り太鼓を打つ。この時代、みだりに櫓の太鼓を打つと火刑に処せられることになっていた。
仁田四郎の温情有る取調べにもかかわらず、お七は死罪と決ってしまうが、鈴ヶ森で処刑の寸前に赦免される。
八百屋お七のモデルは『天和笑委集』や『近世江戸著聞集』などに見える実説による。天和二(1682)年十二月二十八日の江戸大火で類焼し旦那寺(駒込正仙寺、一説には円乗寺とも)に避難した本郷の八百屋娘お七(?~1683)は、寺小姓生田庄之助(一説に山田左兵衛)と恋仲になった。新築の家に帰宅後、火事があればもう一度庄之助に会えると思いこんだお七は、翌年三月二日夜に放火するも、すぐに消し止められ、捕えられて引き回しのうえ同月二十九日に鈴ヶ森の刑場で火刑に処せられた。
この事件は貞享三(1686)年には井原西鶴『好色五人女』 に、元禄年間には様々な歌祭文に取り入れられた。
歌舞伎では宝永三年(1706)年正月大坂初演、吾妻三八作『お七歌祭文』によって舞台化された。初代嵐喜世三郎がお七を演じて大当りをとった。

《参考文献》
河竹 登志夫監修・古井戸 秀夫編 『歌舞伎登場人物事典』 白水社  2006

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