F2.1馬琴の稿本と北斎の版下絵

『敵討身代利名号 前編』(刊本)
絵師:葛飾北斎、作者:曲亭馬琴
書型:中本、巻冊1冊
出版:文化5年(1808)
所蔵:早稲田大学図書館 作品番号:ヘ13_03003


名浮世絵師・北斎は作品への強いこだわりを持っていた。それは『葛飾北斎伝』の中に記述されている、北斎から版元や絵師に向けて書かれた二通の手紙からうかがえる。北斎は、全7編成からなる『唐詩選画本』の6、7篇の挿絵の部分をトリとして担当した。しかし『唐詩選画本』が出版され間もなくして、版元がこれらの版木を修正した。北斎は作品の最終的な品質は、彫師によって決まると考えていた。北斎は、自身が手掛けた『富嶽百景』の彫を担当した江川留吉の彫を高く評価していた。北斎が納得して描きあげた理想とする絵を、江川は一点も違うことなく見事に再現したからである。そのため『唐詩選画本』の彫も江川に担当してほしいと版元に要求した。
また、北斎が作品にできるだけ高い品質を求めるのは、「彫」に関してだけではない。作者の稿本と絵師の版下絵を廻るやり取りについて触れておこう。馬琴の戯作で、北斎が絵を担当することは多々あったが、『敵討身代利名号』は馬琴の稿本が現存する。(馬琴による稿本は『敵討身代名号』という)北斎は、馬琴が指示した絵の注文や要求に従わなかった。構図の良し悪しを考えるのは絵師の仕事だと言い、自分の思い通りの構図で絵を描いたので、しばしば馬琴は北斎に手を焼いた。そこで馬琴は北斎に絵を任せるとき、実際に人物を描いてほしい方向と左右違う方向に人物が来るよう稿本で指定した。すると北斎は馬琴の策略に引っかかっているとも知らず、指定とは逆方向に人物を描いたようだ。稿本『敵討身代名号』と刊本『敵討身代利名号 前編』を見比べると、細かな変更点が見られる。人物が左右逆になっているということはないが、左の人物が稿本では前を向いているのに対し、刊本では後ろを向いている。これも馬琴の策略であったかどうか定かではないが、そうとも考えられる。絵の構図に関して言えば、馬琴も北斎もそれぞれに戯作者、絵師としてプロ意識があったがゆえにお互い譲らず意見が対立したのだろう。(野)