E2.1製本作業0

一九の原稿が良い出来だったので、絵を描かせて[1]板木屋へ発注する。村田屋は何が何でも早く仕事を進めて、思いっきり売りまくるつもりなので、早急に仕上げねばならない。そんな時に板木屋になまけられてはたまらないと、以前から蓄えておいた、[2]宝永年中の富士山の噴火の際に湧き出た琵琶湖の水を酒の中へ入れ、板木屋へ持参して飲ませてみると、この妙薬がたちまちに効果を発揮し、一夜のうちに彫り上がったので、版元の村田屋は大喜びで、

「薬も効けば効くもんだ。今度はまた何とかして[3]板刷り手合いに精を出させる妙薬を調えましょう」

という。

板木師「あなたが下さったお酒は、失礼ではありますが、水が混じっておりましたので薄くてさっぱり酔いません。」

栄邑堂村田屋「[4]夏の間に作業を進めておかないと、思ったように商売は出来ません。その仕事を今夜中に終わらせて、その後に[5]菊麿の[6]大錦を六七枚は彫ってもらいたいものだな。」



[1] 版木師。彫師。

[2] 宝永4年(1707)11月20日から28日まで富士山が大噴火し、江戸市中にも灰が降った。また、太古の富士山噴火によって土地がくぼんでできたのが琵琶湖だという伝説がある。

[3] 板木を紙にする刷り師。

[4] 草双紙新版売出しは正月を恒例とするので、年内には製本その他の準備を完成させる。そのため原稿ができ、版木師の手に渡るのは夏の間と考えられる。

[5] 浮世絵師、喜多川歌麿の弟子、本名小川千助。一九の友人で、はじめ菊麿のち喜久麿、文化元年月麿と改名。

[6] 大錦は大判の錦絵=浮世絵で、縦43センチ、横29センチ、大奉書二つ切りの紙に刷られた。

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