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 『的中地元問屋2巻』
著者・絵師:十返舎一九
書型:中本、2冊
出版:享和2年(1802)
出版者:村田屋次郎兵衛
所蔵:国立国会デジタルコレクション 作品番号:2537597

  製本の過程を経て、商2537597品としての本が出来上がると次は店頭に本がならぶ。本がどのように売られていたのか見ていきたいと思う。

 江戸時代の書物や絵本を扱っている店は様々な種類があり名称も、地本問屋、書物問屋、絵草紙屋などもまた多様であった。地本問屋と絵草紙屋と呼ばれる店は、主に役者絵や黄表紙などといったものが売られていた。今でいうブロマイドや絵本、雑誌などといったものに似ている娯楽性の強い読み物が売られていた。一方、書物問屋、物之本屋の方では学問書や仏典書などといった娯楽性のない学術書などが売られていた。草双紙が商品としてどのように当時の読者の手に届いていたのか見ていきたい。

 地本問屋や書物問屋は「版元」と呼ばれる人物が営業していた。「版元」というのは作品の立案から作品の出版まで全ての工程に関わり、時には絵師や戯作者に、刷り師に彫師に指示を出すといったような製作責任者のような役割を果たしていた。
一方、現在では出版社、取次会社、書店と主にこの三つの独立した分業体制を経て売られている。しかし江戸時代当時では「版元」がこの三つの仕事を受け持っていたと言えるだろう。また、本屋には「地本問屋」「書物問屋」の二つがあったが、兼業している場合もあった。

話を江戸に戻し、次に「貸本屋」について述べていこうと思う。
  読者は基本的には版元から本を買うことによって本を読んでいた。しかし、娯楽的な読物などはわざわざ買い求めて自分の蔵書にして読むには及ばず、そこから貸本屋がうまれていった。よって読者は貸本屋から借りて読めばよいと考えるようになり、江戸市中の貸本屋が利益をあげていくこととなった。これは当時の書物がそれほど潤沢ではなく高価な商品であったからである。しかし、それを黙ってみている地本問屋の版元ではない。中期以降、貸本屋で本を借りるのではなく版元の営業する地本問屋から直接本を読者に買ってもらうために安価で大量生産できる商品、つまり黄表紙などといった草双紙が誕生したのである。また、貸本屋と版元が一緒に営業していた例もある。

  また出版が盛んであったのは主に三都と呼ばれる大阪・京都・江戸である。京都は都市文化の発達と共に、商業出版の先進地であった。よって江戸の本屋は初期は京都から版木を借り出版していたが、都市・町人文化の発達と共に娯楽物の需要が高まると、版木づくりから行う版元が江戸にも誕生する。江戸では浮世絵という絵の文化も発達しており、これにより絵本という娯楽物が江戸で流行するに至った。また、江戸の本屋と大阪の本屋など遠く離れた本屋同士が商品のやり取りをする場合は海上輸送で本を運んでいたようだ。この様に、本屋同士で金銭でやり取りを行うのではなく本同士の物々交換といった形で行うやり取りもあった。このような様々な過程を経て本は読者のもとに届いていたのである。(ymd)