E2.0 序文2

〈序文―版下からの依頼〉

皆さまご存じの草双紙の版元[1]栄邑堂の主人は、毎年毎年の新刊本に[2]このところちっとも変った趣向が見られないのが不満だった。今年はひとつ大当たりの出版物を出してみようと、いろいろと工夫をし、まずは草双紙の作者、例のなまけ者の[3]十返舎一九を呼び寄せて、何ということなしに酒を出し、その酒の中へおもしろい作品がうまくできる妙薬を入れて飲ませた。

  その妙薬というのは、[4]干鰯・馬糞・鋤・鍬、これらを[5]細かく砕いて粉にし、そこに[6]百姓の身の油を絞って練り合わせ、丸薬にし、一九に飲ませたところ、不思議なことに妙薬の効力で今年の新作は途方もなくよい出来となった。

女中「ただいま注文のお薬でございます。」

栄邑堂「お前、去年潮来へ行って女郎を買って遊女屋に居続けをした時に、金がなくて代金の代わりに狂歌を詠んだという話が、銚子にいる八重崎さんからこちらの店に伝わってきましたよ。」

 一九は、まさか馬の糞を入れて飲ませられているとは知らないので、

一九「これはいい酒だねえ。」

一九「銚子で馬鹿なことをやり尽くした事は、今年出した[7]『旅眼石』という本にすべて書きました。」



[1] 江戸日本橋通油町村田屋治郎兵衛。草双紙・滑稽本・錦絵の版元として有名。一九を中心とする咄の会のグループの一人でもある。

[2] 寛政末年になると草双紙に斬新な趣向の作品が少なくなる。

[3] 一九はしばしば作品中自らを戯画化して描いた。

[4] イワシやニシンの脂をしぼったあとを乾燥させた肥料。江戸時代以降農家に良い肥料として重用された。

[5] 薬の調合の際に薬研などで細かにすること。

[6] 百姓が苦労して作物を実らせるのを、身の油を絞るにたとえた。

[7] 一九は享和元年正月江戸を立ち、下総の銚子から鹿島・香取・息栖を旅行し、これを『南総紀行旅眼石』と題して享和2年村田屋から刊行した。また、黄表紙『旅恥書捨一通』(三巻自画榎本屋刊)も、この旅行をもとにしている。

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