同じく歌舞伎十八番の「助六由縁江戸桜」は宝暦11年(1761)3月、江戸市村座初演。金井三笑と初世桜田治助作。初世山彦河良作曲。花川戸の助六=市村亀蔵(九世羽左衛門)、揚巻=二世瀬川菊之丞。
歌舞伎十八番のただ一つの世話ものである。それ以前に半太夫節の音楽で上演されていたが、現行のは助六の出端には河東節が使われる。人気はあるが、「勧進帳」ほど頻繁に上演されない。こちらは古いので研究書は多い。興味があるのは舞台が宝暦期の江戸の吉原気分に満ちていることで、助六の人物像がしゃれている。廓の中では傍若無人だが、それが源氏の宝刀友切丸を探す曽我五郎とは人を食った設定で、よくも考えたものと感心させられる。さらに揚巻は太夫である。実際の吉原の太夫は、この「助六」が初演された宝暦11年でおしまいになった。最後の太夫を惜しむために豪華な衣裳になったのだろう。
助六が舞台に登場するときの河東節がすばらしいの一語に尽きる。浄瑠璃は節尻を短く語り、三味線は左手のハジキが活躍する、ハジキの手法はその前からあったが、これほど巧みに弾くのは新鮮である。当時の現代音楽だったと思わせる。もちろん助六の振りも見事である。
河東節十寸見会と縁があったので、この「助六」は昭和37年(1962)の十一世団十郎襲名披露興行から、大阪、京都、名古屋まで欠かさず見て来た。そして六世山彦河良の三味線にしびれてきた。あの「ハオー」という掛け声は忘れられない。
[参考]平野健次・竹内道敬解説「河東節全集」LPレコード(CBSソニー、1978~79)