江戸の祭礼は京都の祇園祭の模倣であるが、それを縮小したのが吉原俄(仁和賀)らしい。規模は小さいが、禿が中心の余興(パレード)で、音楽は主として男芸者が担当している。長唄の男芸者は荻江姓で、そのほか河東節、一中節など、マイナーな浄瑠璃方も参加していたらしい。いわゆるプロの演奏家は廓には入れなかった。これは吉原細見を調査してわかったことであり、俄で演奏された曲がいくつか伝承されている。これら音楽面からの吉原研究には魅力があるので、こちらにのめり込む事は警戒しなければならないが、おもしろいことは確かである。関連する浮世絵は、他に注目する方が少なかったためか、かなり集めることができた。 [参考]竹内道敬著「『吉原細見』に見る男芸者」(『近世芸能史の研究』南窓社、1982) 「廓の芸能-吉原俄考-」(『近世邦楽研究ノート』名著刊行会、1989) 「もう一つの舞踊一吉原俄の舞踊」(『統近世邦楽考』南窓社、2012)