セミナーで発表後、必ず概要を投稿してください。
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2007年11月13日

第7回GCOEセミナー(金子貴昭)

「版木資料のデジタル・アーカイブ」

【報告要旨】
金子は第7回GCOEセミナーにおいて、版木資料のデジタル・アーカイブへの取り組みについて報告を行った。
1.版本研究の基礎作業として書誌調査とテキスト・クリティークという基礎的な手法について紹介し、出版文化研究において「版木」の存在は必ず意識されつつも、資料として十分活用されていない点、版木資料の扱いづらさについて指摘した。
2.奈良大学が管理する版木資料を紹介し、1.で指摘した問題を克服するために、報告者らが現在取り組んでいる2Dのデジタル・アーカイブ構築とその手法について紹介を行った。
3.永井一彰氏の研究成果の一部を紹介し、版本中心の出版文化研究に版木資料を活用してゆくことの意義について述べた。
4.版木資料のデータベース構築や効率的な画像閲覧方法の検討、デジタル・アーカイブの活用といった今後の課題・展望について触れた。

【討論要旨】
以下の質問を受けた。
① 3Dによる版木のデジタル・アーカイブの意義をどのように考えるか。(尹新氏、田中弘美氏)
② データベース構築というが、単なるデータ構築ではなく他のデータベースとの連携などの展望が描けているか。(桐村喬氏)
セミナー終了後、以下の質問を受けた。
③ 3.で永井氏の論考にそくして紹介した『太平楽府』4種について、刊・印・修に従うとどのように整理できるか。(當山日出夫氏)

これに対して、報告者は以下のように回答した。

①量的な処理をしなければならない場合には2Dのほうが有利と思われるが、逆に1点を深く観察し、掘り下げる研究に向くのではないか。
※赤間亮氏から、版木は現代人にとっては工芸品であり、精緻にビジュアル化できる3Dは有効なのではないか、との助言があった。
②例えば報告者らが構築し運用している書籍のデータベースと今回構築する版木のデータベースを連携させることなどは比較的容易である。
③必ずしも刊・印・修の概念をそのまま当てはめることはできないが、いずれも刊であり、初刻本を除けばいずれも修であるとも
言える。

発表の記録

コメント(16)

當山日出夫 : 2007年11月19日 21:39

『梵天国』は、ケンブリッジでは、アストン文庫の所蔵ですね。目録で確認しました。

ケンブリッジのアストン文庫の目録を作ったのは、林望。同じ大学で、私の方が、数年の後輩になります。まだ有名でない(?)とき、家まで、なんどか遊びに行ったこともあります。大学の学部から大学院にかけて、一緒に勉強した仲でもあります。つまり、書誌学については、同じく、阿部隆一の系統をひいいている、ということです。

書誌学(版本学)には、いろんな考え方があります。まずは、用語・概念について整理することが必要です。「刊・印・修」などは、長沢規矩也・阿部隆一の書誌学の系統での用語・概念、になります。詳しくは、また、別の機会に、それぞれの立場を述べることにしましょう。

さしあたって、このこと(私の考え方や立場)を表明しておかないと、今後、版本や版木について語るとき、意見がかみあわなくなるおそれがあります。

ちなみに、アストン文庫の目録の「索引」を作ったのは、私。昔の、PC-9801(NEC)でつくりました。これは、『和漢朗詠集漢字索引』(當山日出夫編)を作ったその延長にある仕事となります。

ところで、このアストン文庫目録ですが・・・セミナーの最初に赤間先生がおっしゃっていた危惧を象徴するものです。日本でよりも、外国での方が、多く売れたそうです。日本文化研究において、日本は、外国に遅れをとる、ということ。

なお、このアストン文庫目録は、当然ながら、「刊・印・修」の概念を基本にして記述してあります。

當山日出夫(とうやまひでお)

當山日出夫 : 2007年11月19日 22:06

●補足です
さきのコメントで「アストン文庫」と書いていますが、正式には、「ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録」です。ただ、この仕事にかかわっていたとき、このコレクションの中核をなす、アストンのことが念頭にありましたので、「アストン文庫」と称していました。いまだに、その当時のクセがぬけていない、ということです。

(注)
アストンというのは、アーネスト・サトウと同時期の英国の外交官・東洋学研究者です。サトウの方は、萩原延寿の「遠い崖」で有名ですから、みなさん御存知でしょう。このアストンのコレクションの特徴は、量もさることながら、和漢にわたり、かつ、あらゆる分野に及んでいる、という点にあります。これに匹敵する総合的なコレクションは、幸田成友の蔵書ぐらい(・・・これは、私がきいた、林望のことば。)

nonDH院生 : 2007年11月19日 22:58

刊・印・修の概念を的確に「すぐに分かる」ように書いている参考文献を教えてください。

金子貴昭 : 2007年11月20日 16:34

書誌学関係の事典類に立項されているのではないかと思いますが、私が初めて「刊・印・修」を知ったのは、学部生の頃に購入した、中野三敏氏『江戸の板本』(岩波書店)です。第9章に記載されています。

當山日出夫 : 2007年11月20日 22:50

「刊・印・修」の概念については、実は、ケンブリッジの目録の解説・凡例、それ自体が、私の知る限りで、もっともすぐれたもののひとつです。しかし、長沢規矩也・阿部隆一が、亡くなって・・・かなりの年数になります。以前、長沢規矩也の書誌学の本をたくさん出していた汲古書院の人に話をきいても、今は、ほとんど売れないとのこと。(この前の、訓点語学会、於東京大学山上会館、でのこと。)

詳しくは、今後の版木の研究のときにと思いますが、とりあえず、簡単にいえば、

●刊=版木を新しくつくること(と同時に、その版木で印刷する。)
●印=古い版木を使って、後になってから、印刷すること。後印本、という言い方の方もします。そのままの再利用。
●修=古い版木に、手を加えること(そして、印刷すること。)本文の一部を変えることや、版元の名称を変えることなど、総合して言います。木版本の場合は、その箇所を別に彫ってうめこむ、「うめ木」によります。
●そして、「刊」のなかには、初刊と同時に、「かぶせぼり=コピー」もふくめます。

長沢書誌学の考え方の基本は、「その本を刷った版木はいったいどれであるのか、どの本とどの本が同じ版木によるか、違うか」という所にあります。この意味では、長沢書誌学は、「本」を調べてながら、それを刷った「版木」の異同について記述することになります。

本文(テキスト)として、まったく同内容である「かぶせぼり」の場合でも、異なる本=異版(異なる版木によっている)、と認定します。

くわしく語ればきりがありませんが、とりあえず、これぐらいで。

注1
かぶせぼり=版本を一冊ばらします。それを、裏返して、新しい版木に貼り付けます。そして、それをなぞって、新しい版木を彫ります。この技法は実に巧妙で、ちょっと見ただけでは区別できないものも多数あります。

注2
刊=この漢字の本来の意味は、「けずる」です。つまり、版木を彫って作ることです。だから、刊本=木版印刷、になります。

當山日出夫(とうやまひでお)

金子貴昭 : 2007年11月20日 23:55

事典類に立項されているのではないか、と適当なコメントを投稿してしまいましたが、いま『江戸の板本』を引っ張り出して見ると、長澤氏の『図書学辞典』には「何故か」立項されていない旨が記してありました。

當山先生

いろいろとご教示下さり、またわかりやすく解説してくださり、ありがとうございます。

當山日出夫 : 2007年11月23日 14:29

私の手元にある『図書学辞典』(長沢規矩也、汲古書院)は、昭和54年が初版(第1刷)、平成17年になってやっと4刷。この本、初版・初印ももっていますが(書庫のなかのどこかにあるはず=行方不明)、新しいのを、春の訓点語学会で汲古書院が店を出していたので、買いました。ちなみに、一緒に買ったのは、『倉石武四郎講義 本邦に於ける支那学の発達』(「支那」という語は、学術用語としては使うのですから、ちゃんと変換してくれないと困る。ATOKもMSIMEも、初期設定の辞書には入れてない)。

で、見てみると、「刊」という項目は、確かに、見あたりません。ただ、総合的に「刊本」というなかに、いろんな刊本(=印刷した本)についての用語の説明がある。

近世の出版文化史については、最近、いくつか本が出ていますが、詳しくは、板木の研究会のときに。事前に、予習しておきたい人には、

橋口侯之介の最近の、
『和本入門』、平凡社、2005
『続和本入門』、平凡社、2007
が適当でしょうか。

あるいは、
廣庭基介・長友千代治、『日本書誌学を学ぶ人のために』、世界思想社、1998
があります。

當山日出夫(とうやまひでお)

瀬戸です。(質問と言うより感想?)

金子さんのご発表に際しては、「テキスト・クリティーク」に共鳴を受けました。というのは、digital humanitiesとは、データベースを作ったりデジタルアーカイブしたり という「ツール的」な見方では決して止まれないと私は理解しています。

であれば、歴史学でも従来から大変基礎的であるはずのテキスト・クリティークの手法を、データベースやデジタルアーカイブ以外に何とか「新技術」として昇華・活用できないものか…?とご発表を聞いて疑問に思っています。

金子さんに限らずこの点皆さんはどう思われますか?

當山日出夫 : 2007年11月28日 08:26

本文批判の問題は、常に、どのような分野であっても、常につきまといます。これは、楠井さんの御発表とも関連するのですが、たとえ、近代文学作品で、「活字印刷」が前提のものであっても、自筆原稿、雑誌掲載、書籍、全集、によって、微妙な本文の違いがあります。

本文批判とコンピュータでは、次のような問題があります

1.まず、本文をどのようにデータ化するか。この場合、主に、文字コード系が問題になります。今後を考えるなら、XP(0208)のままにとどめるのか、Vista(0213)まで使うのか、あるいは、Unicodeまで拡張して利用するのか。それぞれに違った本文が出来てしまいます。

2.とにかくテキストデータ化していないと、テキストの比較ができません。今のコンピュータ技術であれば、通常のエディタでも、2種類のテキストの比較・異同を見ることは容易です。さらに、言語処理技術をつかうならば、テキストの類似性など、計量的に算出することも可能です。

3.ただ、画像データのままだと・・・かなり難しい。ある意味では、電子複製本にとどまってしまいます。

4.このような認識のもとに、実は私が八村先生にお願いして作っていただいたのが、「キャラクタ・スポッティング」の機能です。写本などの画像データから、同じ「かたち」をした文字を、画像のままで、自動的に認識して集める機能です。つまり、「文字コード」を介在させずに(翻刻という作業なしに)、画像データのままで、テキストをあつかえる、という可能性です。

5.八村先生も御多忙で、まだ、プロトタイプの段階かなと思いますが、これは、日本文学や日本史の研究、写本・版本などをあつかう上で、きわめて有効なツールになると考えています。

6.金子さんが、事例に出した「事」「万(ま)」などは、その版本における、当該の文字の使用例を、画像データによって、網羅的に収集することが、できます。

7.キャラクタ・スポッティングについては、昨年の「じんもんこん2006」の論文集に掲載されています。

當山日出夫(とうやまひでお)

金子貴昭 : 2007年12月 4日 13:51

瀬戸様、當山先生

コメントありがとうございます。

テキスト・クリティークを行う場合、対校表とか校合表などと呼ばれるものを作りますが、これにはかなりの時間と労力を要します。私が提示したのは、書き写すことを媒介とする「書承」の例であり、諸本間のテキスト比較が割と簡単ですから、テキストデータや画像データの蓄積から機械的に異同例を探る、といったツール的な方向に進みうるかもしれません。

一方、文字や語句単位ではなく、類話やプロットレベルでの比較が必要な場合も少なくなく、これらについては単純なテキスト比較では対処できないように思います。しかしその場合もテキストデータや画像があれば、テキスト・クリティークという困難な作業は旧来よりも容易になるはずです。

結局やることは同じですが、基礎資料としてのテキスト・データや画像など、ツールとしてのデジタル・アーカイブをバックボーンに「テキスト」という基礎的な問題を押さえるならば、新技術ではないにせよテキスト・クリティークの新たな段階といえるのではと思います。

當山日出夫 : 2007年12月 4日 17:01

テキストとは何か・・・これは、文学研究で、常につきまとう疑問です。そう簡単に答えを出す、ということではなく、テキストを読みながら、考え続けていくべきことだと思っています。

私がテキストとしてあつかう、訓点語学の立場からであれば、漢文については、漢字一字単位が基本。この意味では、あまり苦労はいりません。(異体字の問題は、難問ではありますが。)

しかし、日本語の文章となると、そうはいきません。まず、どの単位での異同を見るのか、視点をきちんと確立しておかないといけません。「文」の単位、「文節」の単位、「語」の単位、「文字」の単位・・・仮名か漢字か、変体仮名の種類など・・・さまざまに、単位の設定が可能です。

ともあれ、きちんとした翻刻テキスト、と、影印(デジタル画像)があれば、従来の本文研究から、一歩ふみだした研究が可能になることは、たしかなことであろうと思います。

その方法論を探っていくことも、デジタル・ヒューマニティーズの意義の一つであると、考えます。まだ、「デジタル・テキスト学」のようなものを、本格的に考えている人は、そう多くないはずです。

當山日出夫(とうやまひでお)

木立雅朗 : 2007年12月 5日 11:50

金子さんの報告を聞けなかったのですが、要旨やコメントから研究の雰囲気を伺うことができました。私の意見は今までのコメントの流れからは浮いてしまいますが、考古学的な視点として、乱入をお許しください。
 版木は考古学の立場からみますと、明確な物質資料であり、そのものを3D化することに大きな意味があります。「刊・印・修」の概念は考古学、もしくは物質文化研究の立場からは当然のこととして受け取れます。狭い意味での「テキスト」情報だけを抽出することを目的とするなら、3D情報は必要ないかもしれませんが、材質・色調そのほかを含めて、版木の製作や使用の痕跡など、すべてが有効な情報です(3Dデータだけだと情報としては不足しますから、完璧な記録情報だとは思っていません)。時間と質・量の問題がありますから、すべてを3D化するには限界がありますが、そのような考え方に立てば、版木の範囲をさらに広げて、浮世絵や唐紙などの版木も検討されたらいかがかと思います。版木そのものの製作技法・使用方法の検討や資料化にとって3D資料は不完全ではあっても、現状では有効なものだと思います。
 なお、桂離宮の襖の唐紙を見た方から、桐文を見つめていると、文様がふわふわ浮き上がって不思議な感覚になった、と伺いました。錯視だと思いますが、パターン化された唐紙の文様は、美術史や建築史の立場だけでなく、心理学の立場からも検討が可能なのだと思います。現在、唐紙の版木は新たに製作されることはほとんどないようです。これは伏見人形などの土人形の原型が新たに作られることがないのと似ています。古い原型や版木など、江戸時代以来の遺産が先細りしている現在、複製可能な3Dデータは必要不可欠なものに思えます。唐紙の版木は現在でも使用していますから、版木の使用方法だけではなく、作品の使用方法も含めてすべてを記録できます。現在も使用され続け、痛み続けているため、緊急度も高いと思います。
 版木を物質文化資料として捉え、様々な研究に広げる方向で位置づけて頂きたいと思いました。

當山日出夫 : 2007年12月 5日 14:17

これは、セミナーの後の懇親会で話したことでもあるのですが、考古学との共通点として、材質が木材であるならば・・・年輪年代学による測定が可能ではないか、ということです。いつ伐採された木材によって、板木が作られているのか。

ところで、この話題(板木)は、別に項目をたてていただけませんか。永井先生は、あまり、ブログに書き込んだりなどは、お得意ではないようなので、どなたか(できれば金子さんが一番ですが)、御講演の内容を整理して、まとめて別項目をつくっていただけると、ありがたい。

私が書いてもいいのですが・・・「じんもんこん2007」の準備でいそがしかったりするので・・・どなたか、お願いできませんか。

當山日出夫(とうやまひでお)

金子貴昭 : 2007年12月 5日 23:39

當山先生:

いつもありがとうございます。

> この話題(板木)は、別に項目をたてていただけませんか。

現在、赤間研究室のブログのカテゴリに「近世版木総合研究」があり、いずれはブログとして独立してくるのではないかと予想しますが、とりいそぎ永井先生のご報告の要旨をエントリーするのは担当させていただきます。

==================
「近世版木総合研究」のURLは
 https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/geino/2/cat342/
になります。(管理人)

金子貴昭 : 2007年12月 6日 13:39

木立先生

コメントありがとうございます。
報告当日の赤間先生のご助言や、田中弘美先生のグループが行われている3Dによる版木のデジタル・アーカイブの意義と響き合うコメントと思います。

私たちが行っている2Dのデジタル・アーカイブでは、複数パターンのライティングを用いることで様々な痕跡が立体的に捉えられるよう工夫しておりますが、やはり物質として精緻にビジュアル化することはできません。制作方法や彫りの深さ、経年により版木上に起こった出来事などなどを入念に観察してゆくには、全ては無理としても3Dのアーカイブがあったほうが良いと考えます。
5日に當山先生からコメントをいただいている点など、今後も様々な方向性が生まれそうです。

また、色調の件について、私はあまり重視していませんでしたが、前回の永井一彰先生のご発表により、版木の色も使用頻度の痕跡であり、今回いただいたコメントと合わせて重要視すべきものと学びました。
-----

もし可能であれば、田中先生のグループによる版木の3Dアーカイブについて、今後のセミナー報告のラインナップに加えていただければ、と期待します。

nisikawa yoshikazu : 2007年12月10日 11:57

西川(管理人1号)です。
私は撮影のお手伝いとしてほんの1回金子さんに同行しただけですが(金子さ~ん、次の撮影はいつ?)、その時の経験、あるいは金子さんの発表、12/4の永井先生の発表、さらにはそれぞれの際の質疑応答を伺い、これまで「版木」のことを版本を中心とした出版文化史を補完するものぐらいにただただ漫然と考えていたのが、「版木」をさまざまな視点から見つめることで、そこから読み取ることができることの可能性の大きさに魅了されつつあります。
そんなわけで、GCOEセミナー、「版木」テーマの次回は田中先生のグループによるご発表を企画させていただきます。来年度になってしまいますが、田中先生、田中先生の研究室の皆さん、ぜひお願いします!! (で、その次はシンポジウムやって、展覧会やって・・・、と勝手に盛り上がっている次第です。笑)

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