●ご挨拶
アート・リサーチセンターでは、江戸時代以降の能楽にかかわる資料を数多く所蔵しています。なかでも、能楽の舞台や道具などを絵画で描いた資料が多いことに特徴があります。これらの現物を見ていただくよい機会と考え、今回、能楽写真家協会写真展に併設のかたちで、能絵展を企画しました。今後、できるだけ多くの作品を展示していきたいと考えています。
能楽を対象とした絵画は、江戸時代まではあまり描かれたことがなく、今回展示する浮世絵の世界でも独立した画題として成立していた訳ではありません。幕末以降、庶民が能を鑑賞する機会も増え、また、歌舞伎に能楽から取込んだ作品が生まれるにしたがって、描かれる機会も増えてきました。明治に入ると能楽界は一時期衰退の危機に瀕しますが、時の名人たちの努力により復活を遂げ、明治30年代からは、絵画の世界でも能を対象として選ばれるようになりました。その代表的絵師が、月岡耕漁で、能楽を対象としたシリーズ物を手がけ始めます。庶民が、能の稽古にいそしむまでに豊かになり、能楽趣味が増大してきたというひとつの証しと理解できると思います。
能面と能装束に身をかため、演目ごとの大きな演出の違いを見出しがたい能の場合、どのように作品を描いていくか、絵師の工夫が求められるところですが、それゆえに、絵師たちの能と向合う姿勢が作品に表われてきて、それを読み解く楽しさがあるのです。この展示では、その読み解きの試案を解説として提示しました。皆様のご意見をいただきたいと考えています。
能楽を対象とした絵については、「能画」とか「能楽画」ともいい、それを描く画家を「能画家」と呼ぶことも多いようです。本展示では、あまり使われたことがない「能絵」(のうえ)という言葉を使っています。浮世絵の世界では、「風景画」などという「○○画」という言い方が出てきたのが近代になってからであること、能画という場合と違い、能絵の方が優美さや温かさが感じられるという主催者の好みによるものです。
今回展示する作品を鑑賞してもらうことで、なぜ「能絵」としたかの理由を感じ取っていただければ幸いです。
能楽を対象とした絵画は、江戸時代まではあまり描かれたことがなく、今回展示する浮世絵の世界でも独立した画題として成立していた訳ではありません。幕末以降、庶民が能を鑑賞する機会も増え、また、歌舞伎に能楽から取込んだ作品が生まれるにしたがって、描かれる機会も増えてきました。明治に入ると能楽界は一時期衰退の危機に瀕しますが、時の名人たちの努力により復活を遂げ、明治30年代からは、絵画の世界でも能を対象として選ばれるようになりました。その代表的絵師が、月岡耕漁で、能楽を対象としたシリーズ物を手がけ始めます。庶民が、能の稽古にいそしむまでに豊かになり、能楽趣味が増大してきたというひとつの証しと理解できると思います。
能面と能装束に身をかため、演目ごとの大きな演出の違いを見出しがたい能の場合、どのように作品を描いていくか、絵師の工夫が求められるところですが、それゆえに、絵師たちの能と向合う姿勢が作品に表われてきて、それを読み解く楽しさがあるのです。この展示では、その読み解きの試案を解説として提示しました。皆様のご意見をいただきたいと考えています。
能楽を対象とした絵については、「能画」とか「能楽画」ともいい、それを描く画家を「能画家」と呼ぶことも多いようです。本展示では、あまり使われたことがない「能絵」(のうえ)という言葉を使っています。浮世絵の世界では、「風景画」などという「○○画」という言い方が出てきたのが近代になってからであること、能画という場合と違い、能絵の方が優美さや温かさが感じられるという主催者の好みによるものです。
今回展示する作品を鑑賞してもらうことで、なぜ「能絵」としたかの理由を感じ取っていただければ幸いです。
2007年6月25日 立命館大学アート・リサーチセンター
京都芸能プロジェクト 代表 赤間亮
●面箱(めんばこ)
●翁(おきな)
翁の舞である。この翁が纏っている装束は、翁烏帽子に翁狩衣、そして指貫である。とりわけ狩衣は、蜀江文様と決まっており、他に例は無い。 今日における「翁」は正月や祝賀、記念能などの番組の冒頭で演じられ、特別な祝いの場で我々は見ることが出来る。老体の神が祝福をもたらすという民俗信仰に関係し、子孫繁栄、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈る。 翁は別名「式三番」と呼ばれ、父尉、翁、三番猿楽(三番叟)の3演目を指す。面そのものが神体とみなされ役者は舞台でそれぞれ父尉、白色尉または肉色尉、黒色尉の面をつける。現在の上演では父尉を省略する形が一般的で翁は能役者、三番叟は狂言役者が演じる。「翁」は農耕との深いつながりがあり、また農村で生活をしていた庶民の風景を彷彿させる要素もある。
●二人翁
●三番叟・千歳
●翁式三双図
[場面説明]
大判三枚続きの画面を使い、翁の舞を舞台全体で見渡している。向かって左側には、舞台の常座奥に下居する三番叟をとらえている。三番叟の他には、囃子方や後見、地謡が見える。翁の舞では大鼓は演奏しないため、床几にはかけず、三番叟と同様に下居して横を向いている。
中央の翁太夫が纏っている装束は、翁烏帽子に翁狩衣、そして指貫である。とりわけ狩衣は、蜀江文様と決まっており、他に例は無い。有名な「とうとうたらり」のくだりであるが、観世・金剛の二流は「とうとうたらりたらりら」、金春・喜多流は「どうどうたらりたらりら」、宝生流は「とうどうたらりたらりら」と謡い方に違いがある。
やがて千歳の舞となり、それに続く謡や翁の舞の後、「千秋萬歳の喜びの舞なれば 一舞舞はう萬歳楽 萬歳楽 萬歳楽」という謡で終了し、三番叟に変わる。
向かって右側には、面箱と後見、そして千歳が下居している。この千歳の着けている千歳直垂は、通常の切金文様に鶴亀をあしらったものではない。鶴亀は見えるが、切金文様ではなく笹が描かれている。
内には亀甲文様の厚板を着用しており、吉祥に満ちた意匠が多く、装束から見ても祝言性の高さがうかがえるのである。
●蝉丸(せみまる)
[あらすじ]
醍醐天皇の第四皇子として生まれた蝉丸の宮は幼い頃から盲目だった。帝は待臣の清貫に命じ、蝉丸を逢坂山に捨てて来させる。清貫はこれは蝉丸の前世の罪を償い、後世によい果報が来るようにとの帝の御慈悲なのだと言い聞かせ、剃髪させる。
そこでは唯一の同情者博雅三位によって藁屋が作られ、蝉丸はその中で琵琶を弾いて暮らしていた。
一方、蝉丸の姉宮である醍醐天皇の第三皇女の逆髪は、髪が逆さに立つ病があり、心が乱れさまよい歩いていると逢坂山にたどり着いた。どこからか琵琶の音が聞こえてくるので、音が聞こえる方へ進むと、そこには弟宮・蝉丸がいた。二人は手を取り合い、互いに不幸を嘆き悲しんだのち、いづこへともなく去ろうとする姉宮の後ろ姿を、蝉丸は見えぬ目で見送るのであった。
●項羽(こおう)
●白楽天(はくらくてん)
●通盛(みちもり)
●袴能(はかまのう)
●竹生島(ちくぶしま)
[あらすじ]
竹生島参詣を思い立ったある廷臣が琵琶湖畔に向う。そこで老人と女が乗った釣舟を見つけ同船し、琵琶湖の美しい春景色を眺めているうちに竹生島に着く。老人は廷臣を弁財天に案内しようとするが、女人禁制であるはずの竹生島に女も一緒について来る。それを老人に問うと、「島に祭る弁財天も女体の神なのだから、それは謂れを知らない者の言葉だろう」と答え竹生島の由来を語る。しばらくして、自分たちは人間ではないといって女は社檀の扉の向こうへ姿を消し、老人は湖の主であると言い波間に消えていった。
やがて、竹生島明神の社殿が鳴動し、光り輝く弁才天が姿を現し、天女之舞を舞う。また、金銀珠玉を持った竜神が湖上に現れ、廷臣にそれらを捧げ、勇ましい舞を舞い、国土の鎮護を約束し、再び姿を消した。
竹生島参詣を思い立ったある廷臣が琵琶湖畔に向う。そこで老人と女が乗った釣舟を見つけ同船し、琵琶湖の美しい春景色を眺めているうちに竹生島に着く。老人は廷臣を弁財天に案内しようとするが、女人禁制であるはずの竹生島に女も一緒について来る。それを老人に問うと、「島に祭る弁財天も女体の神なのだから、それは謂れを知らない者の言葉だろう」と答え竹生島の由来を語る。しばらくして、自分たちは人間ではないといって女は社檀の扉の向こうへ姿を消し、老人は湖の主であると言い波間に消えていった。
やがて、竹生島明神の社殿が鳴動し、光り輝く弁才天が姿を現し、天女之舞を舞う。また、金銀珠玉を持った竜神が湖上に現れ、廷臣にそれらを捧げ、勇ましい舞を舞い、国土の鎮護を約束し、再び姿を消した。
●忠度(ただのり)
[あらすじ]
藤原俊成に仕えていた家来が俊成没後、旅の僧となり西国行脚の旅に出て、須磨の浦に辿り着いた。そこに一本の桜の木があり、僧が眺めていると、薪を背負った老人が歩いてきた。薪には山で折ったであろう桜の一枝がさしてある。その桜を手に取り、老人は桜の木の下で手向けをする。旅の僧がその老人に一夜の宿を乞うと、この桜の下ほどよい宿は無いと言い、平忠度ゆかりの地であることを説明した。そして僧に忠度の弔いを頼み、自分が忠度の霊であるとほのめかし静かに消えていく。
夜、桜の木の下で寝ていると忠度の霊が武人の姿で現れた。『千載集』に入れられた自分の歌が朝敵として「読み人知らず」とされたことを嘆き、作者名をつけてくれるよう俊成の子、藤原定家に訴えるよう頼むのである。話は一ノ谷の合戦に移り、岡部六弥太と組み合い討ち死にした事などを物語る。最後に僧に自分の回向を頼み消え去っていく。
藤原俊成に仕えていた家来が俊成没後、旅の僧となり西国行脚の旅に出て、須磨の浦に辿り着いた。そこに一本の桜の木があり、僧が眺めていると、薪を背負った老人が歩いてきた。薪には山で折ったであろう桜の一枝がさしてある。その桜を手に取り、老人は桜の木の下で手向けをする。旅の僧がその老人に一夜の宿を乞うと、この桜の下ほどよい宿は無いと言い、平忠度ゆかりの地であることを説明した。そして僧に忠度の弔いを頼み、自分が忠度の霊であるとほのめかし静かに消えていく。
夜、桜の木の下で寝ていると忠度の霊が武人の姿で現れた。『千載集』に入れられた自分の歌が朝敵として「読み人知らず」とされたことを嘆き、作者名をつけてくれるよう俊成の子、藤原定家に訴えるよう頼むのである。話は一ノ谷の合戦に移り、岡部六弥太と組み合い討ち死にした事などを物語る。最後に僧に自分の回向を頼み消え去っていく。
●楊貴妃(ようきひ)
●望月(もちづき)
[あらすじ]
信濃国の安田荘司友春は望月秋長に殺された。その家来・小沢刑部友房が営んでいる「甲屋」という宿屋に、弱々しくまた寂しげな妻子が一夜の宿を乞う。それは殺された友春の妻子であった。小沢は自らを名乗り、互いに再会を喜んだ。そこへ、友春を殺害した罪による13年の刑を終え、故郷信濃へと下っていた望月秋長が偶然にも甲屋に宿泊する。小沢はその旨を妻子に伝え、友春の妻を盲御前に仕立て、子・花若と共に望月の座敷に出す。 母は謡い、花若は八撥を打ち舞う。乱序の囃子にのり、赤獅子頭の小沢が登場、勇壮な獅子舞を舞う。芸尽くしを存分に楽しみ、旅の疲れもあったせいかすっかりまどろんだ望月の隙を見て、小沢と花若は望月の敵討ちをし遂げる。
信濃国の安田荘司友春は望月秋長に殺された。その家来・小沢刑部友房が営んでいる「甲屋」という宿屋に、弱々しくまた寂しげな妻子が一夜の宿を乞う。それは殺された友春の妻子であった。小沢は自らを名乗り、互いに再会を喜んだ。そこへ、友春を殺害した罪による13年の刑を終え、故郷信濃へと下っていた望月秋長が偶然にも甲屋に宿泊する。小沢はその旨を妻子に伝え、友春の妻を盲御前に仕立て、子・花若と共に望月の座敷に出す。 母は謡い、花若は八撥を打ち舞う。乱序の囃子にのり、赤獅子頭の小沢が登場、勇壮な獅子舞を舞う。芸尽くしを存分に楽しみ、旅の疲れもあったせいかすっかりまどろんだ望月の隙を見て、小沢と花若は望月の敵討ちをし遂げる。
●海士(あま)
[あらすじ]
大臣藤原房前は、母が讃岐・志度の海人だと知り追善の為その地を訪れる。そしてそこにいた一人の海人から母の話を聞くこととなる。その昔、唐から氏寺の興福寺へ三種の宝が送られることとなったが、その内の一つ面向不背の珠が途中で竜神に奪われた。それを取り戻しに来た藤原不比等(淡海)は契りを交わした海人に、宝珠を取り戻せたら二人の間の子を藤原家の世継ぎにすると約束をする。海人は自分の腰に縄をつけ、竜宮へ飛び込み宝珠を盗み、乳の下を切り裂き珠を押し込め、血を流しながらも海龍たちから逃げ切り、戻った。この経緯を語った海人は、自分こそが房前の母だと名乗り、海へ消えていった。
母の話を聞いた房前は追善供養を行なうと、龍女となり法華経を手にした母の霊が現れ、成仏の喜びを舞にして表し、志度寺建立の因縁を語る。
大臣藤原房前は、母が讃岐・志度の海人だと知り追善の為その地を訪れる。そしてそこにいた一人の海人から母の話を聞くこととなる。その昔、唐から氏寺の興福寺へ三種の宝が送られることとなったが、その内の一つ面向不背の珠が途中で竜神に奪われた。それを取り戻しに来た藤原不比等(淡海)は契りを交わした海人に、宝珠を取り戻せたら二人の間の子を藤原家の世継ぎにすると約束をする。海人は自分の腰に縄をつけ、竜宮へ飛び込み宝珠を盗み、乳の下を切り裂き珠を押し込め、血を流しながらも海龍たちから逃げ切り、戻った。この経緯を語った海人は、自分こそが房前の母だと名乗り、海へ消えていった。
母の話を聞いた房前は追善供養を行なうと、龍女となり法華経を手にした母の霊が現れ、成仏の喜びを舞にして表し、志度寺建立の因縁を語る。
●絵馬(えま)
●清経(きよつね)
[あらすじ]
源平の戦のため、西国へ都落ちした夫清経の帰りを、妻は居宅にて一人で寂しく待ちわびていた。そこへ平重盛の三男である清経の家臣、粟津三郎が訪れる。粟津は清経入水の経緯を妻に語り、船中に清経によって残されていた遺髪を手渡す。妻は自分をおいていってしまったことへの恨みを見せて、栗津に遺髪を手向け返す。
悲しさに嘆き泣き伏し、転た寝していた妻の夢の中に清経の霊がゆっくりと現れる。妻は戦死や病死でもなくて、何故自分を置き去りにして命を断ったのか恨み嘆き、清経はその動機を話すから恨みを晴らしてほしいという。
清経は敵兵に追われ神仏にもすがったが、無益な戦いに疑問を抱き入水を決意した。そして舳先に立ち、愛用の笛を吹き、今様を歌いつつ南無阿弥陀仏を唱えて入水した。最後に清経の霊は修羅道に落ち苦しんでいたが念仏によって成仏することができた。
源平の戦のため、西国へ都落ちした夫清経の帰りを、妻は居宅にて一人で寂しく待ちわびていた。そこへ平重盛の三男である清経の家臣、粟津三郎が訪れる。粟津は清経入水の経緯を妻に語り、船中に清経によって残されていた遺髪を手渡す。妻は自分をおいていってしまったことへの恨みを見せて、栗津に遺髪を手向け返す。
悲しさに嘆き泣き伏し、転た寝していた妻の夢の中に清経の霊がゆっくりと現れる。妻は戦死や病死でもなくて、何故自分を置き去りにして命を断ったのか恨み嘆き、清経はその動機を話すから恨みを晴らしてほしいという。
清経は敵兵に追われ神仏にもすがったが、無益な戦いに疑問を抱き入水を決意した。そして舳先に立ち、愛用の笛を吹き、今様を歌いつつ南無阿弥陀仏を唱えて入水した。最後に清経の霊は修羅道に落ち苦しんでいたが念仏によって成仏することができた。