• 木立研究室


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2010年10月30日

道仙化学製陶所窯跡および浅見五郎助窯の発掘調査

 

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9月4日から9月16日まで道仙化学製陶所窯跡第5次発掘調査を行いました。本年は隣接する浅見五郎助窯との間に小トレンチを設定し、二つの窯の前後関係などを検討する目的で行いました。文献史料では明治末年以降に存在が確認されますが、下層ではそれより古い可能性が高いゴミ穴が検出されました。このゴミ穴の中には「旭亭」の刻印をもつ陶磁器類をはじめ、幕末から明治にかけての陶磁器と窯関連遺物が出土しています。遺物の詳細な検討など、残された課題は多いのですが、窯が現在の形に配置されたのは明治末から昭和初期のことのようです。それ以前にも窯は存在したようですが、下層ゴミ穴の存在から別地点に立地していた可能性が高くなりました。また、さらに下層からは14世紀代に遡る土師器が出土し、中世遺跡としても注目されます。

 

発掘調査にあたっては、地主である楽只苑会長湯浅士郎氏の全面的なご協力を得てきましたが、残念ながら発掘調査終了後にお亡くなりになりました。五条坂の将来を考え、登り窯の調査・保存・整備にご理解頂き、貴重な場を与えて頂いたことに深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

 

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IMG_6027.jpgまた、本年も浅見五郎助氏には貴重な「ゴウ」(匣鉢)をはじめとする貴重な京焼関連民具をご提供頂き、合わせて登り窯の写真撮影をさせて頂きました。深く感謝いたします。

浅見氏から提供頂いた亀板・桟板・カタギ箱については8月末に行った文学部学芸員実習において計測を行っています。明治後半から昭和初期にかけての興味深い変遷が明らかになっています。今回ご提供頂いた「ゴウ」はそうした木製の道具とは異なり、消耗が早い道具であるため、登り窯の使用を停止した昭和30年代末~40年前後の時期のものだと思われます。こうした京焼生産に関わる道具類は発掘調査でも廃棄されることが多く、民具の収集も全国的にも珍しいものです。貴重な歴史資料として研究・活用したいと考えています。

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