九谷A遺跡は、山中温泉から大聖寺川を13㎞上流に遡った山間部にあります。当遺跡の大聖寺川の対岸には国指定史跡・九谷磁器窯跡が所在し、その関連遺物・遺構が九谷ダム建設に関わる発掘調査で検出されました。九谷ダムによって水没する可能性がありましたが、重要な遺跡であるため、現在、整備が行われています。

http://www.ishikawa-maibun.or.jp/iseki_new/kaga/kutani/index3.htm

注目されるのは「金薪窯」(薪を燃料とする上絵窯)の基底部と想定される焼土遺構が発掘調査で確認されたことです。現地では上絵窯の遺構が展示されていましたが、発掘地点に近いとはいえ、異なる地点のようです。しかし、「展示・保存の方法」については説明がありませんでした。展示解説板でも、発掘調査報告書でも、17世紀の九谷磁器窯跡の頃の上絵窯跡として紹介されています。

また、遺構は表土直下で検出され、ほとんど遺物が伴わないことから、幕末の吉田窯や昭和九谷との識別が問題となり、厳密な年代を確定することは困難だったと思います。どのような検証が行われたのか、興味深いことです。解説板では多くの説明ができないのでしょうが、重要な遺構だけに気になりました。

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