●『日本・中国の文様事典』
『日本・中国の文様事典』著者:早坂優子視覚デザイン研究所編日本と中国の伝統的な文様が図入りで説明されています。美術作品にみられる文様がその作品とともに掲載されていて、わかりやすいです。 また、江戸時代の歌舞伎俳優の紋や文様も数多く載っています。
『日本・中国の文様事典』著者:早坂優子視覚デザイン研究所編日本と中国の伝統的な文様が図入りで説明されています。美術作品にみられる文様がその作品とともに掲載されていて、わかりやすいです。 また、江戸時代の歌舞伎俳優の紋や文様も数多く載っています。
これまで、現代の衣裳と同じ形式を舞台で用い始めたのは九代目の市川団十郎だと言われている。この話は五代目中村歌右衛門の話として「着附は、上着が振袖で、草色の石持に緋縮緬の裾回し…これがマァ普通の仕来りですが、(中略)団十郎さんの時は人と違って、十六むさしの模様を着ました。四度目の時には、それを真似て、十六むさしの模様を着ました。(後略)」(『国立劇場上演資料集』所収。初出は昭和15年『演芸画報』)にも確認でき、ここでは団十郎が他の役者とは違う衣裳を用いていたこと、この時にはすでに草色の石持の着付が「仕来り」となっていたことがうかがえる。 また、『演芸画報』(明治41年10月)に市川女寅(六代目市川門之助)の話として「只だ着附と鬘は九代目団十郎の通りで、(中略)着附は萌黄地の縮緬へ十六むさしの模様、下着は朱と浅黄の鹿子の段々染、(後略)」とあり、この衣裳の形式は現代の物とほぼ同形式である。しかしながら、どのような経緯で団十郎がこの衣裳を用いたのか、どのようにして他の役者も用いるようになり、いつ頃から定着したのかという詳細な経緯は定かではない。