●八百屋お七
『役者全書』(安永三年)には
「○八百屋お七
夫より享保三戌年春市村座にて三条勘太郎相つとむ。是先代喜世追善とてせしゆへに、かの喜世三が紋「封じ文」を付たり。此節又々はんじやうす。是よりしぜんと封文をお七が紋のやうになりし也。三ヶ津共に是を付る。されバ喜世三をお七の開山とし、勘太郎を中興の祖とす。」
とある。
また、
『役者名物袖日記』(明和八年)には
「右丸のうちに封文の紋ハ、古人嵐喜代三といふ女がたの定紋なり。面色うるはしくて上手なりしと。初て八百屋お七の娘がたにて殊の外の大あたりを取、それより名ヲあらはし、今もつてお七の役をする女がたハ此紋を付る。今ハお七が紋になりしとなり。」
とある。