本図は、 嘉永05(1852)・02閏03 江戸・河原崎で上演された「妹背山女庭訓」の御殿の場の絵である。鱶七を八代目団十郎、お三輪を三代目嵐璃寛が勤めている。
この二枚の絵は、背景や改印や落款からいっても、間違いなく、同じ時に描かれたものであり、続き絵であると思われるが、2枚とすると不思議なことに、鱶七を狙う3本の鑓の内、右の1本が途中で切れてしまっている。牡丹の花や、瓦燈口の右端は、1枚目から2枚目にかけて続き絵として描かれているにも関らず、なぜこのようなことが起きるのだろうか。
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