●合羽摺

 着色したい部分を切抜いた型紙を使い、それに柿渋や漆を塗って、水分をはじくようにしてある。これを合羽と呼び、着色したい部分に合せてこれを絵の上に置く。刷毛やたんぽでその切ぬた部分に色を塗り、合羽を取ると、切抜いた部分にだけ着色されているという仕組である。
 友禅染の型染めは、これと同じ方法を用いているため、染めの技術から思いついたものとも言われ、主に京都や大阪で行なわれたものである。
 この技法の場合、刷毛で数回なでつけるだけで均等に彩色できるように比較的水分を多く含んだ絵の具を使うため、型紙の際に絵の具の溜まりができ、乾いたあともその部分の色が濃く残る。また、切抜かれた部分に絵の具が塗られるが、細かな模様や、色を付けない部分が型紙と切放された、いわば「孤島」ができてはいけないため、それをつなぐ「ブリッジ」が必要となり、その跡が残っていることも合羽摺りを見分ける目安とされる。
 延享3年(1746)刊の『明朝生動画園』が版本に於ける上限とされており、一枚ものでは、明和5年(1768)の作品が報告されている。また、宝暦後半(1760年頃)には、歌舞伎や浄瑠璃の絵尽の表紙や包み紙にも彩色がされていて、これも合羽摺によるものである。合羽摺は、その後、上方の安価な絵入本や一枚摺の浮世絵に頻繁に用いられていたらしいが、現在は、伝存する作品が少ない。

 ポール・ビニー氏は、初期の歌舞伎作品や人物作品に黒や茶の色紙を使った合羽摺作品を残している。彼の作品は、その本紙の地の色をうまく利用し、他の色を「置いていく」方法を使っている。つまり刷毛ではなく、たんぽで何度も色を押付けていき、同じ切窓に対する彩色でもグラデーションを多用して変化をつけているのである。また、茶や黒という濃い色の背景に、金色を地潰しや地のグラデーションとして使うことで、そこに光を吸収して、地の色を面に浮出させることに成功しているのである。
 歴史的には、安価に大量に彩色することを目的として使われた合羽摺であるが、ビニーの場合、合羽摺は一つ一つ、色を丁寧に置くために選ばれた方法であって、根気を逆に必要とする方法である。