●ご挨拶
このたび、スコットランド出身のアーティスト、ポール・ビニー氏の版画作品が100点を超えたのを記念して作品図録が刊行されました。これを機に全作品を集めた展覧会を開催することになりました。現在までの全102点の内、92点が前・後期に分けて展示されます。
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⇒アーティストトークならびに実演
このたび、スコットランド出身のアーティスト、ポール・ビニー氏の版画作品が100点を超えたのを記念して作品図録が刊行されました。これを機に全作品を集めた展覧会を開催することになりました。現在までの全102点の内、92点が前・後期に分けて展示されます。
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着色したい部分を切抜いた型紙を使い、それに柿渋や漆を塗って、水分をはじくようにしてある。これを合羽と呼び、着色したい部分に合せてこれを絵の上に置く。刷毛やたんぽでその切ぬた部分に色を塗り、合羽を取ると、切抜いた部分にだけ着色されているという仕組である。
友禅染の型染めは、これと同じ方法を用いているため、染めの技術から思いついたものとも言われ、主に京都や大阪で行なわれたものである。
この技法の場合、刷毛で数回なでつけるだけで均等に彩色できるように比較的水分を多く含んだ絵の具を使うため、型紙の際に絵の具の溜まりができ、乾いたあともその部分の色が濃く残る。また、切抜かれた部分に絵の具が塗られるが、細かな模様や、色を付けない部分が型紙と切放された、いわば「孤島」ができてはいけないため、それをつなぐ「ブリッジ」が必要となり、その跡が残っていることも合羽摺りを見分ける目安とされる。
延享3年(1746)刊の『明朝生動画園』が版本に於ける上限とされており、一枚ものでは、明和5年(1768)の作品が報告されている。また、宝暦後半(1760年頃)には、歌舞伎や浄瑠璃の絵尽の表紙や包み紙にも彩色がされていて、これも合羽摺によるものである。合羽摺は、その後、上方の安価な絵入本や一枚摺の浮世絵に頻繁に用いられていたらしいが、現在は、伝存する作品が少ない。
ポール・ビニー氏は、初期の歌舞伎作品や人物作品に黒や茶の色紙を使った合羽摺作品を残している。彼の作品は、その本紙の地の色をうまく利用し、他の色を「置いていく」方法を使っている。つまり刷毛ではなく、たんぽで何度も色を押付けていき、同じ切窓に対する彩色でもグラデーションを多用して変化をつけているのである。また、茶や黒という濃い色の背景に、金色を地潰しや地のグラデーションとして使うことで、そこに光を吸収して、地の色を面に浮出させることに成功しているのである。
歴史的には、安価に大量に彩色することを目的として使われた合羽摺であるが、ビニーの場合、合羽摺は一つ一つ、色を丁寧に置くために選ばれた方法であって、根気を逆に必要とする方法である。
エドワード・ムンクによって考案された方法で、一枚の板木を糸鋸でいくつかのパーツに切り分けてそこに色を付けて摺る方法である。いくつかの板木はさらに彫刻され、模様がつけられる。ポールビニー氏は、されにさらに手彩色を加えて作品を完成させている。
ポール・ビニー氏は、基本的に自描自刻自摺によって作品を生み出しており、創作版画に分類される作家である。ブラックモデルでは、黒地の本紙に摺って色を沈める手法をとったり、下絵を描かずにダイレクトカッティングの手法を使うなど、実験的な作品が多い。また、ダイレクトカッティングによる複数板木でのマルチカラー作品もある。
ポール・ビニー氏の作品の半数は、主版と色板を組合せて多色摺りとする「錦絵」の方法をとっている。その他にも初期には合羽摺の作品も多く、珍しいジグソーカットプリント、リソグラフや手着色などとの複合などを含め、実験的な試みもある。
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