日本文化情報



座談会 北斎・広重と東海道

「有燐」400号に掲載されている、小林忠、鈴木良明、永田生慈、他2氏による対談で、北斎や広重の風景画について説明されている。
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三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について


はじめに

 三代目歌川豊国こと、初代国貞(以下、国貞で統一する)はその最晩年、自らの絵師の活動を回顧し、かつ江戸歌舞伎の歴史を辿るがごときシリーズものを何作か手懸けている。その最大のものは『古今俳優似顔大全』であろうが、この揃い物の前にも、役者の芸系を示す類似のシリーズが幾つかあり、なかでも、歌舞伎の演目に注目したシリーズに『踊形容外題尽』がある。


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宮津市(天橋立)智恩寺の忠臣蔵討入り絵馬

chionji-uchiiri2s.jpg忠臣蔵事件を画いた最古の絵馬。浮世絵では、アート・リサーチセンター所蔵の浮世絵が最古であるが、現在確認できる最古の絵馬は、智恩寺の絵馬堂にかかっているものが最古である。絵馬堂に吹きさらしで掲げられているため、残念ながら痛みが進んでいる。

山田清代春木版画展

2006年12月20日~2007年1月15日
ギャラリーかもがわ

浮世絵と見立て

参考文献一覧

錦絵の風刺画

江戸時代、徳川政権の下にに生まれた浮世絵には、世相風刺や政府の批判の要素は比較的すくない運命にありましたが、天保の改革以降、幕府の指導力が弱くなると、諷刺画と呼ばれる分野が成立します。その諷刺画を集めて解説をしたWEBサイト、データベースが公開されています。
錦絵の風刺画

伝統芸能を描いた海外のアーティスト(Paul Binnie)

日本の伝統芸能に魅せされてそれを浮世絵版画にしているアーティストが英国にいます。
その名は、ポール・ベニー(WEB Site

合羽摺に描かれたもの

 合羽摺に描かれたジャンルでは、美人画と役者絵が多い。また、美人画で描かれる対象は、京都の場合、祇園の芸妓・舞妓ということになるのである。
 京都の一つの顔として「祇園」が大きな存在となって久しく、現在では、祇園を抜きにしては「京都らしさ」の多くを失ってしまう程になっている。江戸時代、遊郭としての島原が次第に衰えをみせ、祇園の役割が次第に大きなものとなっていったが、江戸時代の祇園の歴史については、実はあまり委しく調べられたことがない。しかし、合羽摺に描かれた芸妓たちは、祇園が一つの最盛期を迎える文化文政天保期のものであり、歴史の空白をビジュアルな資料として埋めるものである。そして、アート・リサーチセンターにも、それが9枚所蔵されている。

合羽摺版画

 合羽摺とは、版画の着色にあたって、着色したい部分を切抜いて穴をあけた渋紙を型紙としてあてがい、その上から刷毛で色を塗る技法である。渋紙は水をはじくから型紙を「合羽」と呼ぶ。馬連で擦りつけていないから色は乗り具合は柔らかく、見た目に非常に素朴なもので、かつ廉価に制作できたはずである。
 合羽摺の版画は、現在でも、大津絵の制作などに使われているポピュラーな物であり、長崎絵や双六・地図などにも事例がみられるが、錦絵を生んだ江戸では浮世絵の着色のためには使われなかったものらしい。後には、大阪でも制作されるようになる。役者絵や美人画、縁起物の風俗画、あるいは風景画も存在している。大阪では、同じ歌舞伎の舞台をあつかった作品が錦絵と合羽摺の両方で残っているものもある。

京都出版の浮世絵版画

 立命館大学アート・リサーチセンターには、3千枚を越える浮世絵版画があるが、上方絵、あるいはOSAKA PRINTSと呼ばれる大坂・京都で制作出版された浮世絵が500点以上もあり、コレクションの特徴の一つとなっている。なかでも、京都で発達した「合羽摺」作品は、約160点所蔵しており、現在知られているこのジャンルのコレクションとしては、世界最大規模である。