日本文化情報



忠臣蔵と見立て展

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制作:京都芸能PJTextとIMAGE PJ

蟹満寺

山城の国のはなし。ある娘は、村人が蟹を縛って持って行くのをみて可哀相に思い、蟹を譲ってもらって、川に放してやった。
しばらくして、娘の父親は、田んぼで、蛇が蛙を食べようとしているのをみて、思わずももしも蛙を放したら、娘を嫁にあげようと言ってしまう。蛇は、その言葉を聞くと蛙を放し、藪の中に消えた。

昭和35年の祇園練物

祇園祭に練物が出なくなって久しいと思っていたら、京都観世会館から出ている「能」(2006年6月)に岡田万里子氏が昭和35年にもあった書いてあった。京都の風物詩として、そろそろ復活してもよいのではないかと思っている。
岡田氏は、この中で、宮島春齋「京都の芸能界 舞曲」(演芸画報・明治40年7月)、田中緑紅『祇園ねりもの』に記載のある万延元年(1860)の練物が、能狂言づくしであったことを紹介しており、その情報源が番付ではなく、八坂神社に奉納された扁額であるという。その扁額が、きちんと保管されていて、いつしか姿を現さないかとと願っている。

幕末明治の浮世絵

平成18年11月11日(土)~12月10日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日
徳川美術館 -幕末明治の浮世絵

昭和11年の祇園ねりもの

昭和10年に43年間も中断していた練物が復活することになったが、六月末に大変な水害に見舞われたため、やむなく中止となってしまった。この時は、番付までできていただけに残念なことであった。翌11年にも練物復活の話しが持上がったが、甲部は、弥栄会館の建築もあって、乙部のみが出すことになった。田中緑紅の「祇園ねりもの」には、このあたりの事情が委しいが、この11年の練物の前の6月に脱稿し、7月に出版されたものであるので、11年の練物が実行されたのかどうかの記述はない。